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2007年6月 6日 (水)

レーガン meets ゴルバチョフ

Image 最近、ディスカヴァリー・チャンネルで流れてる{緊急治療・レーガン暗殺未遂}を見た。(ディスカヴァリーの番組ウェブは、こちら。)
 それは06年に製作されたもので、タイトル通り、81年、アメリカでレーガン政権発足直後に起こったレーガンの暗殺未遂事件と、その後の病院での緊急治療についてのドキュメンタリーだ。
 それは全く、ファンタスティーック!
な出来で、その後、Wikipediaで、レーガン大統領のことを色々探ってみた。(見たい人はこちら すると、彼の命日が04年の6月5日とある。そして、それはピッタリ今日だった。まったく、ディスカヴァリーも気の利いたことをする。
 この事件の大筋はこうだ。レーガン大統領が、スピーチをしたホテルから出て来て、大勢の記者に取り囲まれながら、リムジンに乗り込もうとした。その時に、大統領に向けて発砲があった。3秒間に6発、3mの至近距離からの発砲だった。犯人は、ヒンクリーという名の青年だった。が、シークレット・サーヴィスの素晴らしいチームワークで、大統領は致命傷を負うことはなかった。それでも、車に反射した弾が大統領のわき腹に当たった。1時間、ほっておけば出血多量で死ぬほどの重症だ。
 そこで大急ぎで、最寄のワシントン病院に駆け込んだ。そして、優秀なERスタッフの活躍で、1命を取り留めた。メデタシメデタシというワケだ。

 この番組で最も印象的だったことは、3つ。
1つ目はレーガンのユーモア。そして2つ目は、ジョディ・フォスターの狂気のストーカーでもあった暗殺未遂犯のヒンクリー。3つ目はこの事件の背後にいるッシュだ。1つ目。レーガンは命に関わる大手術を前に、病院のベッドに駆けつけたナンシー夫人にこう言った。
Honey, I forgot to Duck.(ハニー、<銃弾を>かわしそこなったよ。)」
 ちなみにDuckとは、ハンター用語が慣用句になったもので、ハンターが銃でカモを撃つ時に、カモが首を水に入れてよける仕種から、かわすという意味になった。
 それはまさに笑い泣きの瞬間で、TVの前の僕の目も1気に重くなった。
 そして大統領の命に関わる手術を前にガチガチに緊張したERスタッフに対しては、レーガンはこう言う。
「キミたちは皆んな、
共和党派だろうね。」(レーガンは共和党の大統領)それにチーフ・ドクターは、民主党派でありながら、「今日だけは、皆んな共和党派です。」と切り返した。それで、手術室はすっかり和んだという。ちなみに、僕の涙腺はそこで1気に決壊した。
 また、手術後に駆けつけた息子に対しては、レーガンはこう言った。「オイ、暗殺されそうな日に、新品のスーツは着るなよ。病院に運ばれると、ハサミでズタズタにされるからな。」

 
この1連のユーモアは、あまりにオカシク、かつあまりに
美しい。そこには、レーガンのとてつもない思いやりがある。自らが死の1歩手前にいながら、それを心配する回りの人たちの痛みを和らげようとする。それはまさに、究極のユーモアだ。 なるほど、この人だったからこそ、冷戦を終わらせられたんだ。そうハッキリとナットクした。
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2つ目。犯人のヒンクリーについては、この番組はほとんど触れない。そこでまたWikiで調べると、彼はまず、女優、ジョディ・フォスターのストーカーだった。犯行の1時間前には、彼女宛にラブ・レターを残している。ちなみに、この文面もWikiのリンクで見れる。
 
英語が読める人。また25歳の
変態男が、当時、キャピキャピの女子大生だったジョディにどんなラブ・レターを書いたのかと、好奇心がうずく人は、こちら

 
その中で、ヒンクリーは自分の存在を彼女にアピールし、その愛の大きさを実証するために、自分の1生を犠牲にして、レーガンを殺すといった事を書いてる。で、歴史的にも、それがこの暗殺未遂事件の背後だと決定づけられている。
 が、それはあまりに不自然だ。ストーカーの妄想愛の実証と大統領暗殺は、あまりにかけ離れている。それに対しては、ヒンクリーが精神障害者だったからだ、と片付けられてるのだろうが、大きな疑問が残る。

 
で、その全てに答えるのが、
パパ・ブッシュ(今のブッシュの父親)だ。このディスカヴァリーの特集では、レーガンが殺されて1番得をするのは、ソ連だと言っている。だが、パパ・ブッシュの方がずっと得をするのだ。
 Wikiの記事を見て、色々お勉強すると、当時、パパ・ブッシュは、レーガンの下、つまり副大統領だった。80年の民主党との大統領選挙前、共和党内の指名争いで、レーガンに破れたためそうなっていた。つまり、レーガンには少なからず敵意があったハズで、何より彼が死ねば自分がアメリカを握ることが出来るのだ。
 
そして、暗殺未遂犯のヒンクリーと、ブッシュ家にはあまりに分かりやすいツナガリがある。ヒンクリー1家もまた、テキサスのオイル・カンパニーのオーナー1家であり、またパパ・ブッシュの政治資金団体の大物メンバーでもあった。また、暗殺未遂事件の当日には、ヒンクリーの親父は会社運営上の違法行為で200万ドルの罰金を命じられている。それもパパ・ブッシュが大統領になれば、避けられるハズだ。
 
 つまり、パパ・ブッシュと共に、犯人のヒンクリー1家には充分すぎるほど、レーガンを殺したい動機があったのだ。そこでカンタンに想像つくのは、パパ・ヒンクリーが頭の弱い息子を洗脳して、レーガンを殺るようにけしかけるプロットだ。
 また暗殺現場も、今頃、ムショ暮らしを始めてる
パリス・ヒルトンで有名なヒルトンホテルの前であり、ヒルトンはテキサスから創業されたホテルだ。
 要するに、9.11と同じく、このレーガン暗殺未遂事件も、ブッシュ家の陰謀が大いに臭うものなのだ。けれど、もちろんアメリカの歴史はそれを認めない。物的証拠がないからだ。まさにアメリカ、まさに政治の世界だ。ケネディ暗殺でも、9.11でもちょっと想像を働かせば、陰謀のプロットがハッキリ浮かぶことだ。9.11に関しては、未だにアメリカ人の大半は、それがアメリカの1人芝居だったということを真剣に考えようともしない。

 話、戻すと、レーガンはそんなブッシュ家の陰謀には沈まなかった。彼は暗殺未遂事件から生還し、70歳代でありながら、その後、8年の政権を握った。
 その最大の成果は、やはりゴルバチョフとの友情がもたらした冷戦の緊張緩和だ。レーガンとゴルバチョフが同じ時代に2大超大国のトップとして出会ったのは、奇跡に違いない。それは、ビートルズのジョンとポールの出会いと並ぶ、20世紀史上の最高の巡りあいだと思える。C3198211_2
 そこで思うのは、もしヒンクリーがレーガンを殺していたらという事だ。
 まったくゾっとするが、アメリカはパパ・ブッシュの手に渡っていた。ソ連の崩壊は、必然的なものだったけど、もし、2超大国のトップ同士の友情がなければ、ソ連はあんなにも平和的に終わることはなかっただろう。何しろ歴史上初めて、1人の死者もなく世界の主要国の革命が成功したのだ。
 パパ・ブッシュがアメリカのトップなら、もっと世界中をグチャグチャにして崩れ落ちてたことだろう。まったくゾっとする。
  今はG8サミット直前で、アメリカとロシアは冷戦に戻ったかのような仲になってる。まさに両国の歴史上最悪のトップならではの事態だ。
 レーガンは冷戦を加速させもしたが、ゴルバチョフの歩み寄りを受けて、彼と同じくらいの親愛を敵国のソ連に向けた。今の時代、この2人の友情はあまりに輝いて見える。■

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