« 僕がBLOGする、あるありふれた理由。 | トップページ | 孤立と自己ギマンの果ての原爆。<前半> »

2007年7月15日 (日)

孤立と自己ギマンの果ての原爆。<後半>

                          原爆・エッセイ。<後半>
 【思想の闘い?】
 
第2次大戦中、人命の尊重という点で、日本はアメリカよりも日本国民の命に無関心だった。
 もし、大日本帝国のトップたちがマジに自国民のことを考えていたら、太平洋を取られ、本土の制空権を握られた時点で降伏してただろう。その無情さを何よりも伝えるのが、ナガサキの原爆だ。僕にとってそれは1発目よりもショッキングなものだ。というのも、それは日本がヒロシマの大惨劇を受けても降伏しなかったことを意味するからだ。ここまで来ると、何もかもがクレイジーだ。
 が、その流れは、理解できるものでもある。 当時の日本は、死と集団を前提にした神秘主義の国だった。1方、アメリカや連合軍国家は、生と個を前提にした合理主義に貫かれていた。第2次大戦は、このイミで、思想の闘いだったとも言われている。
【日本の自己ギマン】
 しかしだ。日本はホントに神の国だったのだろうか? もし、生きるとは死ぬことにありみたいな東洋思想にハマった国だったら、日本はいくら原爆が落ちようとも降伏しなかったハズだ。
 それこそ、村上龍サンの小説「5分後の世界」みたいになってただろう。このシミュレーション・フィクションでは、5発の原爆が落ちても日本は降伏せず、本土決戦になって大虐殺の果てに大日本帝国は消滅する。だが、その後わずかに生き残った人が地下にゲリラ組織を作り、占領国に抵抗を続けるというのが大筋だ。
 だけど、この話には根本的な矛盾点がある。生存した日本人は過去の敗戦の経験から命の尊重と、科学的戦略を学び、占領軍に組織的な抵抗を繰り返し、世界中から尊敬される存在になる。もし、本土決戦をしなかったら、日本は無知なまま命を尊重できないまま、何も学べなかったかも知れない。といった文面もある。
 だけど、それは反対だ。
 日本は本土決戦をしなかったからこそ、西洋の思想を学べたのだ。もし、度重なる原爆と虐殺の果てに日本が滅びたなら、残されたわずかな日本人の多くは自殺していただろう。なぜなら、大日本帝国は高貴な死の思想の元に滅んだのだから、残された人もそれに従うだろう。そして、日本消滅は、東洋の神秘主義を何よりも伝える、人類史の巨大なピースとなったことだろう。
 だけど、実際はそうはならなかった。日本は、2度の原爆で無条件降伏したのだ。
 という事はだ。日本は、死に根づいた神の国なんかじゃなかったのだ。そのフリをしてただけだ。日本を降伏に至らせたものは、何だったのか? 「自分の頭の上にいつ原爆が落ちてくるか分からない」 お偉方も国民もそういう迫りくる死の意識に、降伏したのだ。1013abomb1
【コミュニケーションと集団幻想】
 じゃあ、日本が自分を見誤っていた原因は何なのか? それは結局、他の国とコミュニケーションしなかったからだ。それこそが、正しい自己認識を生む。だけど、当時の日本は島国らしく孤立したまま近代化し、1時的に生まれた軍事政権の熱狂的な扇動で、「神の国」という集団幻想を持つようになった。
 それが、2発の原爆で吹っ飛んだのだ。
 日本が西洋型の合理主義に順応することは、その後の高度経済成長で実証ずみだ。ドイツもまた本質的に日本と同じ道をたどった。それは、洗脳とか迎合じゃなく、日本やドイツには元から外部世界と共有できる思想があったからだ。それとは逆に、アフガンやイラクでは、いくらアメリカが占領統治し続けても西洋主義が芽生えないが、それは中東の人々にその根がないからだ。
 さて、原爆責任について、考えていこう。
 日本の側にあるという中でなら、その1般的なのは、皇族なり軍事政権の閣僚なりといった1部の人に押し付けるパターンだ。だけど、それはそんなレヴェルのものじゃない。彼らは、突然変異のように生まれ落ち、日本を大悲劇へとミス・リードしたバケモノじゃない。彼らだって日本人だ。その決定や行動には、大多数の日本国民の意思も反映されていた。
 この責任は、壮大なものだ。先に原爆被害への共感は日本人の精神遺産だと書いたが、この責任意識もまたそうだ。当時の日本人はもちろん、それは今を生きる日本人も共有していかなくてはならないものだ。今の日本にだって、戦争時と変わらない集団幻想がアチコチで見れるのだから。
【アメリカの無情さ】
 原爆責任という点で、次にアメリカを見てみよう。先に書いたそのモチベーションを整理すると、世界やソ連への力の誇示と人体実験の意思があった。だけど、第1には戦争下の最高のモラル、最小限の犠牲による終戦の意思がくる。それは、最もありきたりな結論だが、真実だ。
 こういうイミで、僕はアメリカ原爆投下に対して肯定派だ。だけど、それは理論的な観点での態度だ。
 人道的には、アメリカを容認できない。先に書いたように、アメリカの原爆投下は、戦場の道徳で正当化できるものでもある。
 けれど、それは理論上のモラル・バリューであり、シンプルでいて普遍的な道徳には反している。つまり、過剰な殺戮行為である事を知りながら、それが大罪と知りながら、それを実行したのだ。その点で、アメリカは明らかに過ちを犯した。
  しかし、アメリカは、未だに公式に原爆問題で、日本に謝罪してない。すごくクレイジーだ。
 例えば、車を運転してて、危険な飛び出しをした子供をはねたとする。その子は即死した。が、非は明らかに子供にあり、運転者は法的に罪を問われなかった。しかし、その場合でも、運転者は家族に会いに行き、心から謝罪しなければならない。
 要するに、ことの客観的な是非と、道徳的な善悪は別物だという事だ。原爆問題でアメリカは、この2つを混同し、幼稚でガンコな態度を取り続けている。
【日本の無知さ】
だけど、同様の批判が、日本にも当てはまる。日本もまた、原爆問題に関して、アメリカに柔軟な態度を示してないからだ。
 ここで、このエッセイ冒頭に書いた、原爆・2元論に戻る。原爆投下は、究極的に2つのポイントで判断される。理論的観点と、人道的観点だ。そして、これはアメリカと日本の態度とも重なる。アメリカは、常に理論の立場で原爆をとらえ、自国を正当化してる。逆に、日本は人道の立場で原爆をとらえ、自国を正当化してる。要するに、どちらとも原爆に対して有利な立場で、相手国と向き合っているのだ。理論ではアメリカが勝ちで、人道では日本が勝ち。というワケで、いつまでたっても平行線をたどるのだ。
 ここでの解決策は、どちらか1方でもいいから相手の立場に立って自らの非を認めることだ。例えば、日本政府から、「歴史理論上、戦争道徳上の観点で原爆投下を振り返ってみると、アメリカの決断は正しいものだった。」と、公式表明したとする。そうすれば、ほぼ間違いなく、アメリカも柔軟さを見せるだろう。「原爆投下は戦争上不可避なものだったが、人道的観点からは許されないものだった。」みたいな公式声明が返ってきても、フシギじゃない。
 だけど現実は、どっちの国も62年もの時をはさみながら、お互いの有利な立場に引きこもったまま原爆について、真のコミュニケーションを交わそうとしていない。
 【久間ショックに見る、変われない日本】
 久間防衛相の「原爆・しょうがない」発言に触れると、そこにも日本の引きこもりの姿が見える。僕は、キューマ防衛相の原爆発言の要旨を読んだ。読みたい方は、この、IZA.のリンクで。
 それを読めば、彼が理論的観点の中で、「しょうがない」を使ったのが、すぐに分かる。彼は、アメリカの人道上の罪を容認してるワケじゃない。なので、それは決して被爆者や遺族を傷つけるものじゃない。原爆使用の肯定意見であり、それは自由思想の日本では許されることだ。Abre_lo_ojos_1
 けれど、原爆反対派や世論は相変わらずの人道的、被害感情的な立場から、キューマ大臣を1気に叩き潰してしまった。彼らによれば、キューマ発言は、アメリカよりの考えだという。彼らは、理論的観点とそれを完全に混同している。
 キューマ発言は、原爆に対する日本の引きこもり状態を解き放つ、チャンスでもあった。もし、この発言が国民の支持を得て、政府としてアメリカにその意見を伝えたら。先に書いたように、原爆に関する真のコミュニケーションが生まれるキッカケになっただろう。
【青空】
 現代の日本にも、色んなレヴェルで、共同幻想が存在する。他者、他国と心からコミュニケーションしようとしない結果、自分を見誤り、どんどんフリーキーな存在になってゆく。それは半世紀以上前、原爆を招いた大日本帝国の正体でもある。また、それはあらゆる悲劇の本質だ。
 日本は未だに、あのキノコ雲の中にスッポリ覆われているのかも知れない。そんな中で、僕らが少しでも自由になろうとする方法。それは、どんな相手にも、まったくの他人や憎いヤツにも、理解と寛容の気持ちと共に接しようとすることだ。ありふれた答えだが、結局そこにたどり着く。
 キノコ雲を払って青空を見上げるためには、そういう努力が必要なのだ。■

|

« 僕がBLOGする、あるありふれた理由。 | トップページ | 孤立と自己ギマンの果ての原爆。<前半> »

コメント

非常に分りやすく、不謹慎ですが、面白い文章でした。こんな長文をネット上で最後まで読めたのは久々でした。

個人的には「最小限の犠牲」に基づいた原爆投下
には首を傾げざるをえません。
消えた命と、消えるかもしれなかった命を天秤にかけること自体がそもそも納得いかないのです。
それがまかり通るのが戦争なのだと知ってもなお
僕は「日本人」でしかいられないようです。

ちなみに、コメントを残そうと思った最大の理由
は、僕は松嶋かえでのファンだということです。

投稿: namekuji | 2007年8月18日 (土) 13時17分

ワオ!namekujiさん、おほめのコメントありがとう。アナタを最後まで読ませることが出来て、とても光栄です。
他にも長時間読んでくれる人はいたけど、コメントくれないので、ちょっとイラってました(笑)。松島かえでの力とはいえ嬉しいです。ちなみに僕はスレンダー美人より、松嶋れいなのような巨乳キュート系の方が好きです。

namekujiさんの言う通り、アメリカは消えるかもしれなかった命という推測を前提にして、原爆投下を正当化してます。けれど、それでもアメリカが理論的観点では正しい事に変わりないでしょう。なぜなら、理論とは確実性の高い推測を元に組み立てられるものだからです。

もちろん原爆投下において、アメリカは人道的観点では間違ってます。しかし日本はその勢いに任せて理論的、歴史的な観点でもアメリカに非を迫ろうとしてます。僕はこのエッセイでそれが間違いだという事を示したつもりです。

エッセイ後半にも書いた通り、僕が願うのは日米がお互いの過ちを認め合って、早く原爆問題について和解することです。
 お互いの有利な立場に引きこもって口も聞かないというんじゃ、子供のケンカと同じですからね。
 namekujiさん、コメントをアリガトウ。かえでファンにも歴史に興味がある人がいるのが知れて、オモシロかったです。

投稿: ユマ・ケン | 2007年8月18日 (土) 17時32分

えーと。「原爆責任」というので検索していたら、俺と似たような意見に当たったので、ついうれしくなりました。それで、日にちはだいぶ経ちましたがレスしています。

あまり話題にしない人がほとんどですが、終戦当時の日本政府というのは、国民を国家の所有物と見ていたに違いないですね。誰一人、一般兵卒に対するいたわりの気持ちなんて持っていませんでした。もちろん、謝罪など一切していなかったですね。

まあ、日本人はそれでも、ソ連人よりはましなようでした。あそこは女性でも徴兵されたそうですからね。スターリングラードの大空襲において、年をドイツ軍の空襲から守ろうとした兵士は、まだ高校を出てすぐの女性だったそうですね。そして全滅した挙句、町も完全に破壊され、10万人以上が死亡したとされますが、ソ連政府もしらん顔をしていたといいます。

第2次大戦中の犠牲者というのを見ると、圧倒的に多いのがソ連であって、ドイツの3倍か4倍はあったのではないかとおもいます。日本はそのドイツの三分の一もいってないとおもいます。犠牲者が非常に少なくて、町もそれほど破壊されなかったので、戦後の復興もうまくいったのでしょう。

東京大空襲では、かなり多くの米軍爆撃機が撃墜されたはずですが、原爆投下の際には犠牲になった爆撃機はありませんでしたね。地上の収容所にいた兵士が何人か死んだらしいですが、それでも、こういうのを失敗というのはおかしいです。

投稿: うらしまたろう | 2007年10月10日 (水) 11時24分

うらしまたろうサン、コメント、ありがとう。
だけど、この話題を語るにはピッタリのネーミングですね。


新鮮な切り口の意見で、勉強になりました。
戦争犠牲者という点で各国を相対化すると、また違った目で、当時の大日本帝国が見れますね。

ソ連やドイツの犠牲が日本を遥かに上回ってることは、多くの人が知らない事実でしょう。それから考えると、まだ当時の日本は国民の人権を尊重してた方ですね。

しかし、それでもドングリの背比べのような気もします。当時の民主国家から見れば、この3国はどれも同じくらい幼稚だったことには変わりないでしょう。


にしても、ロシアは未だに半世紀前のソ連と同じですね。
例の、チェチェン・テロリストによる、ベスラン小学校占拠やモスクワのオペラ座立てこもり事件。
あれへのプーチンの対応は、第2次大戦中に女子供でパルチザンを作ってナチスと戦わせた非人道性と共通したものでしょう。

まぁ戦後復興で言えば、ソ連に較べると、日本はホントに精神的な成長を遂げたと思います。

アメリカとのゲンバク問題に対しても、日本はそんな大人な態度で、望んで欲しいですね。
では。

投稿: ユマケン | 2007年10月10日 (水) 21時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/194203/7151912

この記事へのトラックバック一覧です: 孤立と自己ギマンの果ての原爆。<後半>:

« 僕がBLOGする、あるありふれた理由。 | トップページ | 孤立と自己ギマンの果ての原爆。<前半> »