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2007年7月15日 (日)

孤立と自己ギマンの果ての原爆。<前半>

【PREFACE】
 今回の、Blog.テーマは「原爆」だ。ドカーン。これから、2回に分けて、ヒロシマ・ナガサキに落ちた原爆について長々と論文調に書く。ドカーン。1体何のために、僕はそんな事をするのか。大学の単位のためでも仕事のためでもアフィリエイトのためでもなく、このブログに熱心なリピーターがいるワケでもない。
 前回、僕のブログ観について書いたが、そこにもある通り、第1にはジコ・ケーハツのためにやる。自分を少しでもマシな人間にするためにやるのだ。そして、それが誰かの人生観に影響を与えたり、有意義なコミュニケーションに発展したりすればという望みがある。少なくとも、僕は自分の頭の良さをひけらかすために、こんな事を時間かけてやりたいワケじゃない。だけど、もし読んでて、そんなキドリが見えたら“クソ野朗!”というコメントを下さい。
 そして、まず断っておきたいのは、僕は先生や教授や学者でもなく、プロのライターや作家でもないという事だ。ただのシロートであり、昨日も松嶋かえで
のAVを借りてきたような男だ。ただ、僕は今まで、原爆、このヒロシマ・ナガサキに落ちた爆弾について、色んなメディアを通して人並み以上の情報と思考を積み重ねてきたとは思う。まず、これを読む人には、この原爆エッセイが、そんな男の手によるものだと断っておきたい。
【原爆2元論と日米の平行線】
このエッセイのキッカケになったのは、今週号(07年7月18日号)の、ニューズ・ウィークの1記事だ。それは、最近の久間防衛相の「原爆・しょうがない」発言による政界スキャンダルを受け、あらためて原爆投下について検証するという内容だった。テキストは、ネッド・バーネットという1970年代からのキャリアがある、軍事研究家によるものだ。
 僕は今まで、原爆について考えるたびに、Yes.と、No.の波にアップアップとおぼれていた。つまり、こう考えると、原爆は正しい、だけど、こう考えると、間違いだ、といった堂々巡りを続けていた。しかし、このバーネットの記事について考えるうちに、そうなる理由が分かった。
 結論から書けば、それはこの原爆投下が、究極的に2つのポイントで判断されるもので、その2つが完全に相反し合ったものだからだ。
 その2元論とは、理論的観点と人道的観点だ。そして、そこには、アメリカと日本が原爆問題について、いつまでも平行線をたどり、共鳴し合えない理由もある。これについての突っ込んだ意見は、後半に回したい。Nagasaki1a
【日本人の精神遺産】

 Newsweek.のバーネットの記事をキッカケに、上に書いた原爆の2元論に至った。それと共に僕は、理論的観点では、原爆・肯定派、容認派だという態度を固めた。
 もちろん、人道的には認められない。アメリカは、ヒロシマ・ナガサキで人類史上最悪の罪を犯したのだ。僕も、世界で唯1の被爆国に生まれた1人だ。被害者の味わった壮絶な痛みや悲しみや虚しさは、少し想像を働かせば、胸を熱く揺るがすものになる。同じ日本人なら、多くの人が共感してくれるだろう。道徳臭くなるが、それは日本人がどんな時代にも共有すべき、“精神遺産”とでも言えるものだ。
 しかしながら、理論的態度として、僕は原爆・肯定派である。
【過剰殺戮の意思はあったのか?】
 さて、Newsweek.誌のネッド・バーネットによる記事について書いていこう。それは、僕の原爆への態度を変える大きなキッカケになった。とはいえ、2-3文をのぞけば、僕はその内容のほぼ全てに反対だ。
 まず、バーネットは歴史の修正主義派(つまり、原爆反対派)が、時代の観念の変化によって、この原爆投下をとらえてきたという。彼によれば、当時のアメリカは原爆に対して、核という認識がなく、ただの大型爆弾だと思っていた。その被害予想にしても、東京大空襲の延長のようにとらえていた、という。
 つまり、アメリカは過剰な殺戮兵器と知りながら原爆を落とした、という反対派の意見は、戦後に生まれた核不拡散のムーヴメントの中で生まれた、でっち上げだ、と言いたいのだろう。
 だけど、これは明らかにおかしい。核の認識がなくても、当時のアメリカは第2次世界大戦の最終兵器として、原爆を使ったハズだ。“これは人類史上最悪のジェノサイドになるかも知れない” アメリカにはそんな意識があったハズで、原爆投下は、大罪を自覚しながらの行為だったハズだ。
【人体実験の可能性と飢えの懸念】
 次に、バーネットは原爆の実験性を否定してる。ヒロシマの前に、米軍はニューメキシコで実験をしてるので、その意図はなかったというワケだ。が、それはバカげた反論だ。なぜなら、それは人体実験じゃないからだ。原爆が1体、どれだけの人を殺せるのだろうか? アメリカは間違いなく、それを知りたかったハズだ。その実験性を裏付けるように、ヒロシマとナガサキでは、2種類の原爆(プルトニュウムとウラン)が使用された。
 また、バーネットは、原爆によってアメリカが早期終戦を望んだのは、日本人の飢えを防ぐためだったという。戦争が46-7年まで延びれば、民間人の餓死者は、数100万人出たという。だけど、当時のアメリカが日本の食糧事情に精通してたとしても、その考えはあまりにセンチメンタルだ。あれだけ、徹底抗戦してた敵国にそんな同情を持つワケがない。これこそ後の時代になって、でっち上げた空論だ。
  【パワーを求めたアメリカ】Alberteinsteinatomicbomb

  1方で、バーネットは、歴史修正主義(原爆反対)派にとっての最強の意見も取り上げる。 それは、アメリカが戦後、世界の唯1の超大国として君臨したかったため、原爆を使ったという事だ。終戦間際になって、ソ連もまた日本戦に参戦し始めた。そのため、アメリカは戦後の日本をソ連と分割統合したくないと焦り、原爆を落とした。バーネットは記事の中、これにだけは直接的に反論してない。それもそのハズで、これは原爆投下のモチベーションとして、大きな位置を占めるものだからだ。
 そもそも原爆とは、アメリカの力への欲求から生まれたものだった。
 原爆の父とされる、アインシュタインは熱心な平和主義者だった。だが、ルーズヴェルト米大統領から、ナチスが原爆計画を着々と進めているという手紙をもらい、心変わりをした。つまり、悪を止めるには、大きな力が必要であり、それは未来平和への力にもなると考えた。だが、当時のアメリカ政府高官の誰もが、ナチスの原爆実験が失敗してることを知っていた。つまり、連中はアインシュタインをだまして、原爆作りの基礎となったマンハッタン計画に彼を加担させたのだ。原爆の歴史の始まりは、アメリカによるスーパー・パワーへの欲求からだった。それは、戦争抑止や、世界平和とは無縁のものだった。
【世界とソ連への力の誇示】
 そうして、それはヒロシマ・ナガサキへの原爆投下にも反映されている。だけど、果たしてそれが、第1の理由なのだろうか? 僕はそうは思わない。
 そこで先に書いたバーネットの意見が浮かんでくる。歴史的な出来事がその後の時代の流れの中で、歪曲させられる。第2次大戦後、世界は米ソにまっ2つに分かれ、冷戦の時代に入る。その結果論から、原爆投下が、アメリカによるソ連へのイカク、けん制に見えるんじゃないだろうか? このアメリカの力の誇示論も、戦後の流れの中で出て来た、でっち上げ批判じゃないだろうか? 僕はそう思える。
 原爆投下の前、アメリカはすでに西ヨーロッパや太平洋の戦いで、数々の歴史的勝利を収めてきた。すでにそのパワーを世界中に誇示していたのだ。ソ連に対するイカクという事も、原爆への大きなモチベーションにはならない。当時のアメリカは遠い遠い異国のソ連について多くを知らなかったハズだ。そして戦後、ソ連との冷戦時代に入ることは、予測はしてても確信までしてなかったに違いない。 
 【日本における主な否定論】
 特に日本人の原爆反対派の最大の意見は、こうだろう。過剰な無差別殺戮をもたらす核兵器を使用することは、どんな理由があっても絶対に許されるものじゃない。
 または、日本が講和条約の努力をしてたのに、アメリカがそれを受け入れず原爆に走ったというのもよく聞く。まず、この後者の意見は的外れだ。あれだけの大戦争が講和という妥協の形で終われば、間違いなく後々にも戦争の火種を残すことになる。戦争とは次世代の平和のためにも、徹底的にやり合わねばならないものだ。また、日本の敗戦が決定的なのに、原爆を落としたという意見もある。が、これは問題のすり替えだ。原爆は確かに、アメリカの追い討ちだった。だけど、そうさせたのは日本だ。日本こそが、敗戦が決定的な状況でも降伏せずに、戦争を引き延ばしたのだ。
 
  そして、1つ目の絶対的な平和・人道主義とでも言える論に移る。この点で見れば、どう考えても原爆投下は間違っている。これに対し、NW誌のバーネットは、戦争下の道徳というもので対抗している。“戦争下における最も重要な道徳は、被害を最小限に抑えて、戦争を終わらせることだ”確か、そんな文面だった。それは、彼の文面の中で共感できた数少ない1文だった。
 それは正しい。より大きな暴力と被害を未然に防ぎたい時。その時にだけは、暴力は許されるハズだ。つまり、道徳とは、平和時と戦争時では異なるものになる。NWのバーネットによれば、もし本土決戦になってれば、どう少なく見積もっても、アメリカ兵だけで数100万の犠牲が出たという。
 もし、それがでっち上げの計算だとしても、道徳の柱である人命尊重の点で、日本はアメリカを攻められない。なぜなら、大戦中の日本は、アメリカよりも日本国民の命にムトンチャクだったからだ。 
 後半に続く。<リンク>

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