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2007年8月 5日 (日)

世界陸上、北欧の美しきケモノたちが丸亀にやって来る。

For_blog 【丸亀とカロリナ】
 四国は香川にある坂出市。僕は今、そこで暮らしている。瀬戸大橋がある町といえばピンとくる人がいるかも知れない。華やかでもなく、寂れてもいない。時と共にゆったりと変化してる、ありふれた地方街だ。
 が、そんな坂出の隣町、丸亀に後10日ほどで、衝撃が走る(笑)。なぜなら、Carolina Kluft.(カロリナ・クリュフト)がやって来るからだ。と言っても、日本では誰それ?という人がほとんどだろう。僕にしても、今日その名前を覚えたばかりだ。
 クリュフトは世界的なアスリートで、この5年ほど、7種競技種目で世界トップの座に君臨してる女王だ。スウェーデン出身の24歳で、Lookin Good!でもあるので、モデルの仕事もしてる。なぜ、そんな人がこの夏、はるばる丸亀にやってくるんだろう。と、こう書けば、ピンとくる人がいるかも知れない。そう、それは世界陸上・大阪があるからだ。彼女のいるスウェーデン・ナショナル・チームは、その直前合宿地に香川の丸亀スタジアムを選んだ。スウェーデンの他にもノルウェー、フィンランド、デンマークと北欧4カ国がそろってやって来る。
【世界に羽ばたく、うどんの国】
 今日の朝日新聞に、世界陸上の合宿地に選ばれた日本の各市が掲載されていた(下図参照)。Lastscan_2
 12の市が世界各国のアスリートを受け入れる予定だが、国の数は香川が最多だ。記事によると、去年、大阪視察にやって来た各国代表団に、香川が猛アピールしたからだそうだ。香川は最近、地域PR活動をさかんにやってる。しかもそれは今回のように、海外に向けたものだ。香川に属する直島では、この数年、映画007のロケ地になるのを目指し、制作会社に積極的にアプローチし続けている。この北欧チームの招致はまた、北京オリンピックの合宿地に選ばれるための布石でもある。もし、そうなれば海外からの観光客も増えて街は、活性化することだろう。
 香川、がんばってるよ。特に丸亀は最近、市街地が空洞化してて、フジ・テレビの中野美奈子アナの出身地という事ぐらいしか自慢がなくなってる。とにかく、イナカほど、こういう画期的なチャレンジが県民に誇りを与えるもので、そういう共通意識が地域発展の核になるものだろう。
【カロリーナについてのWIKI的紹介】
 さて、それはともかく、カロリーナ。 僕は彼女のことをアテネ・オリンピックで金取ったくらいからボンヤリ知っていた。その後、CNNのスポーツニュースで何度か特集をやってるのを見て、カワイイんで録画もしていた。それくらいの興味であり、名前も顔も覚えてなかった。つまり、北欧4カ国のアスリートたちが隣町にやって来るというニュースを知って、そういえばキュートなコがいたなと思い出したワケだ。そうして今日、ネットで色々調べてくうちに1気にファンになった。
 さて、このCarolina Kluftについて、Wikipediaを元にもうちょっと説明しよう。彼女の専門競技は、Heptathlon.と言われる7種競技だ。とにかく、飛んだり投げたり走ったりという超人的な種目である。あまり、注目されることはないが、その多様性から、チャンピオンは、アスリートのキングとかクイーンとかと言われる。カロリーナもまた、Queen of Athlete.という異名を持ってる。
 実績を上げると、オリンピックでは04年アテネで金。 世界陸上(World Championship)では、パリ、ヘルシンキで2回、金。今回の大阪・世界陸上で、3連覇を狙う。ヨーロッパ大会でも、2つの金。2002年からずっと、IAAF(国際陸連)によって、7種競技、世界トップ選手にランクづけられてて、現役陸上選手として、それは誰よりも長い記録だという。
  ローレウスが毎年主催する、世界のスポーツマン・アワードがあり、今年はテニスのロジャー・フェデラーと、棒高跳びのイシンバエワが選ばれたことは有名だ。そして、カロリーナも、これに3年連続、最優秀女子スポーツ選手の候補に挙がっている。Kluft72

【セレブで、人道的な彼女】

 若くてキュートで親しみやすいキャラなので、ポップスターなみの人気もあるそうだ。靴メーカー、ReebokCMにもサッカーのティエリ・アンリなどと共に起用されている。プライヴェートを言えば、1緒に暮らしてる、走り高跳び選手のボーイ・フレンドがいる(NO-----)。また、大学に通ってて、Peace and Development.(平和と発展)を専攻。社会活動も熱心で、アフリカの子供を支援するグループのスポンサーにもなってる。

ま、とにかく人気実力ともに世界トップクラスのスポーツマンであり、かつ人としても洗練されてるワケだ。YouTube.で、彼女のインタビューが見れるが(見たい方はこちら、Carolina Kluft.)、彼女はそこで「子供の模範になれるようなアスリートでありたい」といったコメントをしてる。また、CNNの特集では、「世界記録よりも、試合を楽しむことが大切。私はスポーツが好きで競技が好きだ。楽しむことが私のモチベーション。」みたいなコメントをしてる。そこからは、誠実で純粋な素顔が伝わり。とにかく、僕はネット・サーフィンを続けるうちに、そんな彼女のトリコになった。 もちろん、キュートだからでもあるけどね。
【北欧の美しきケモノたち

 もちろん丸亀スタジアムにはクリュフト以外にも、メダル候補のアスリートがやって来る。男子3段飛びのオルソンや日本では空飛ぶスーパーモデルの名で有名なハイ・ジャンプのベリークイストなどだ。けれど、北欧は男も女もキレーな人ばかりなんで、有名無名に関わらず、見るだけで楽しませてくれることだろう。
 アメリカのハリウッド女優でも、元を見れば北欧の人が多い。Uma Thurman. Kirsten Dunst.今、大人気のScarlett Johansson.などもそうだ。北欧人には、神秘的なベールのようなもんが共通してあって、ウットリさせるよねぇ。だけど、陸上選手の場合、スタジアムに入ると、野性の動物のようにファイティング・スピリットを見せる。クリュフトでさえそうで、そのギャップもおもしろいところ。
 さて、そんな美しき獣たちは、この8月の14日にやって来るそうだが、香川合宿オフィシャル・ブログを見ても(見たい方はクリック)、具体的なスケジュールの記載はない。まだ、決まってないか、非公式にして混乱を避けようとしてるのか........
【トップ・アスリートに対するマナー】
 香川以外にも11ヶ所の市に、世界中からアスリートがやって来るワケで、これからの季節、日本中で大勢の人がその練習や交流イヴェントを見に、その合宿地に駆けつけることだろう。僕もカロリーナとツーショット写真を撮るというアホな夢を抱いて、必ずスタジアムに行くだろう。
 だけど、皆んな、そこでは選手を思って、最低限のマナーは守ろう。1番意識すべきことは、多くの選手たちが1生を左右するような真剣勝負を前にしてるという事だ。アスリートにとって、世界陸上はオリンピックに次ぐ大大会だ。選手たちは年初からこの日に照準を合わせてトレーニングをし、この2-3ヶ月は本番でベストを引き出すため、色んな国の大会を転戦し、かなり疲れている。
 なので、アスリートにストレスを与えるようなことをしてはならない。例えば、競技場の見学中、選手に近い場所でムービーや写真を撮ったり、ケータイの着信を鳴らしたりする。街中で、見かけると、すぐに詰め寄ってサインや写真をねだる。そういうのは、まさにサイアクだ。
 とにかく、世界のアスリートだという敬意を持って、いつも1定の距離を置くべきだ。特に有名なアスリートはどの国の人でも英語が話せるので、サインや写真がほしいなら、その前に必ず断りの言葉をかければいい。ダメと言われても、「Good Luck for Osaka!」などと大声を掛ければ、笑ってくれていい思い出になるだろう。
 とはいえ、距離を置きすぎてもダメで、選手たちには日本人や観光への好奇心もあるハズだ。彼らのそういうオープンになった空気を感じれば、積極的に接するべきだ。僕は丸亀スタジアムで、カロリーナがそんな空気になるのを、今か今かとブキミに待ち続けることだろう。他の11の市の近くに住む皆んなも、またとないチャンスなんで、どんどん応援しに行ってみればどうだろうか?

 
 これは、YouTube ユーザーが作った、カロリーナ・クリュフトの写真スライドショーなヴィデオです。
 彼女の魅力と共に、7種競技(Heptathlon)の魅力も出てて、良いです。
 


 P.S.

 ところで、僕にはスタジアムに1緒に見物に行ってくれる友達が不足している。1日だけつき合ってくれる人がいるが、僕はもうちょっと行きたい。
 なので、誰か1日、1緒に僕と見物してくれないでしょうか?
 求めてるのは気軽な見物仲間です。
 お互いの年とか職業とか出身地とかのリレキを交わすことなく、ただ純粋に「丸亀で北欧のアスリートが見たい」という意識でつながれる人です。男女問わず、人数問わず、香川県内外問わず、オバサンでも女子高生でも子供でもお年寄りでも、誰でもいいです。
 そこのキミ、もし興味があるなら、どうかコメントを。

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2007年7月29日 (日)

さようなら、オシム。

  AFC.アジア・カップ、2007-Vietnam. 7月最後の土曜の夜、その日韓戦を見ながら、これを書いている。もし、これが決勝の舞台ならBlogなど書きながらユウチョーに見れなかっただろう。何しろそうだったら、ちょうど10年前、Wカップ出場をかけたソウルでの試合以来となる、超真剣モードの日韓戦になってたからだ。けれど、このアジア・カップの日韓戦のブタイは、3位決定戦だ。にしても、日韓のライヴァル意識はまだ健在で、両チームともモチベーションは決勝並みの高さだ。今もTVの向こうでは壮絶なつぶしあいが続いてる。
 とはいえ、3位決定戦に変わりはない。選手のパッションがいかに大きくとも、見る側の空しさは埋められない。Ac07osimappointment004
【2試合で、オシムにはウンザリ】
 何にしても、この試合の結果を待たず、サッカー日本代表チームが次にやるべき事は1つ。
 それは、オシム監督をクビにするという事だ。もちろん僕も、日本のサッカー界ではこの展開が現実的じゃないことは分かってる。「就任1年で、それは早い」「オシム・サッカーが成熟してから判断すべきだ」 日本のファンやサッカー協会やメディアの多数派は、こんな反応を見せるだろう。
 僕は、オシム・サッカーをこのアジア・カップで初めてじっくりと見てみた。Q.F.と、S.F. トーナメントのこの2試合だけだが、僕にはそれで充分だった。オシムにウンザリするには、充分な2試合だった。それを通して、2年後のWカップ予選における日本代表がイメージすることも出来た。そしてそれは、悲惨な姿だった。
【トゥルシエよりも劣るオシム】
 オシムを1言で表せば、ジコチューの独裁者型カントクだ。自分を過信してて、どのゲームでもチームの主役は選手じゃなくて、自らの戦略というタイプ。と、書けば、前々回の代表監督、トゥルシエを思い出す方もいるだろう。彼もまたピッチの選手のアイデアや個人技は、自らのプランのおまけといった考え方を持っていた。この2人はその点で酷似している。そして、それはどんな世界にも通じるダメ・リーダーの典型だ。
 また、オシムの目指す、日本人の利点を生かした、“超高速、連係サッカー”。これは、すでに5年前、トゥルシエが達成したことでもある。そして、韓日Wカップ、トルコ戦の敗退で、日本のサッカーファンはその戦術の限界を思い知らされたのだ。
 要するに、このアジア・カップ-07におけるオシムは、トゥルシエの過ちをもう1度繰り返そうとしてるようにしか見えない。このアジア・カップに見る日本代表もトゥルシエ時代と変わらず、ゲームとボールは支配するが、決定力がないために試合を取りこぼす同じ悪循環にハマっている。
 いや、オシムに較べれば、まだトゥルシエの方がマシだった。彼はガンコな哲学を持ちながら、選手起用に関しては柔軟で、積極的に若手を試し、またチーム内で海外組の選手を尊重した。自らのプランを狂わしかねない個人技にすぐれた彼らをチームに歓迎したのだ。
 1方、オシムは、自分の戦術に従順な国内組のコツブ選手中心のチーム構成にしてる。カンペキな独裁体制だ。このアジア・カップのメンバーでそれを象徴してるのが、この3人。エンドウ、コマノ、カジだ。いったい、彼らはトーナメントの2試合で何度、マヌケなシュートを打ったり、精度のせの字もないクロス・ボールを上げたりしただろう。にもかかわらず、オシムは3位決定戦の日韓戦でも、彼らを先発起用している。そこにもまた、彼の無反省な過信ぶりが見れる。Pic45722
【采配なき日本の監督達】
 試合中の采配という点でも、オシムはひどい。これはトゥルシエ、また前監督のジーコの2人にも共通してるが、彼らの辞書に采配という文字はない。つまり、選手交替の判断が異常にトロく、かつセオリー通りで保守的なのだ。オシムの場合、このアジア・カップでのオーストラリア戦にそれがハッキリ出ている。後半、1-1になった後、オージーのDFが高原へのファウルで退場になった。けれど、その1人多い状況でも、オシムはまったく動かなかった。ただ、時の流れと共に、疲れた選手と同じポジションの選手を入れ替えただけだ。つまり、それはただの燃料補給であり、采配じゃない。ピッチの選手からすれば、監督不在で闘ってるようなもんだ。優れた監督なら、試合の流れと共に、当初のプランをひっくり返すような臨機応変性を見せる。それには、勇敢さや独創性が必要だ。1方、この3人の監督にあるのは戦前のプランだけで、どんな試合になってもそれを変えられない。
【不完全燃焼な過去2度のWカップの原因】
 とにかくオシムには、このアジア・カップ-07だけで充分ウンザリさせられた。日本と同じく、この大会で決勝に残れなかった実力国、オーストラリア、イラン、そして韓国の3国はすでに監督の解任を発表している。世界のサッカー界では、それが常識だ。大きな大会で、悪い試合内容で、実力以下の結果が出れば、カントクは必然的にクビになる。けれど、非常識な日本ではそうならない。
 過去2大会のWカップにおける日本の最大の敗因は何だっただろうか?
 それはカントクだ。少なくとも僕はそう確信している。無能なカントクのクビを切れず、Wカップまで延命させた結果、両大会ともに不完全燃焼な敗退をすることになった。
 5年前、韓日Wカップで、日本が負けたTurkey戦。その1番の敗因は、トゥルシエの実験的プランだ。このチームはオレのもんだと言わんばかりに、それまで勝ち続けてたチームをいじくり回し、試合中にはそれまでのチームの得点元だったイナモトを途中交替させた。去年のWカップでの予選敗退もまた、ジーコが引き金になった。彼にはそもそも采配どころかゲーム前の戦略すらなく、あるのは永久に変わらない固定レギュラーとお約束のサッカー・セオリーだけだ。予選のオージー戦では、後半次々と攻撃プランをくり出す名匠ヒディンクに対し、ジーコはただベンチの前をウロチョロしてただけだ。
【浪費させられた黄金世代】
 今回、このアジア・カップ後もオシム監督を長々と延命させれば、同じ悲劇を繰り返すだろう。それはWカップのブタイじゃなく、その予選のブタイであってもフシギじゃない。
 サッカー日本代表チームは黄金世代のピークをすぎた。すでに中田ヒデはいない。日本では50年に1人とも言える天才が、すでに早すぎる引退をしている。 前の2人のカントクが延命できたのは、この黄金世代の活躍によって結果が出てたからだ。今も同じだが、当時の日本のファンやメディアは、カントクを試合内容じゃなく結果だけで判断してた。なので、トゥルシエがシドニー・オリンピック、QFのアメリカ戦、この敗戦で無采配さをさらけ出しても、予選を突破したというだけで彼を許した。ジーコの場合は、前回のアジア・カップ全般で無能さをさらけ出しても、優勝した事でそれに目をつぶった。今振り返れば、この黄金世代の日本代表チームを、この2人のカントク初心者に預けたことは、トホ----もなくもったいないことだった。Jfa20060204zico
【バッジオが言う、冷めたスープとは?】 
 オシムの次に必要な監督の理想。それは確固とした哲学とプランを持ち、かつ試合中にそれをひっくり返すほどの臨機応変なアイデアを出し、勇敢にトライできる人。そして、自分の戦略と同じくらい、ピッチの選手の個性と判断を尊重できる人。叶いがたい理想論だが、とにかくそういう人が欲しい。
 さようなら、オシム。あなたが、もしこのアジア・カップ後も日本代表監督であり続けても、僕には関係ない。あなたは今、僕の心から消えようとしている。さようなら、オシム。
 イタリアのサッカー伝説、ロベルト・バッジオが自伝の中でこんな皮肉を言ってる。彼はビッグ・クラブの監督に返り咲いた元大監督のリッピに対し、こんなコメントをする。
 「冷めたスープを温めなおしても、元の味には戻らない。だけど、イタリア人には、冷めたスープを好きな人が多いんだよ」 オシムよ。あなたもこのバッジオが言うところの冷めたスープにすぎなかった。そして、不幸にも日本人もまた、冷めたスープを温めなおすのが好きな民族なのだ。■
 PS
 といった具合に長々とブログしてる間に、アジア・カップ-07の3位決定戦は終わった。PK戦の末に、韓国が勝利した。内容は、PKの勝ち負けを逆にすれば、QFのオーストラリア戦そっくりのヒドイものだった。過去の2監督と同じく、試合中にプラン変更の出来ないオシムの無能さがあらためて証明されたワケだ。
 その後、日テレのうるぐすを見ると、元代表のタケダが出てて、オシム解任世論にあの手この手で反論してた。その姿は、怒りやアキレを通り越して、哀れみを誘うものだった。彼もまぁよくここまで日本サッカー界の腐りきったシガラミにとらわれたもんだ。彼の姿は、今回のアジア・カップを受けた日本サッカー協会とメディアの象徴的な態度でもあるだろう。そして、彼らはまたあの老いた大男、あの冷めたスープをもう1度温めなおそうとする事だろう。■

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2007年7月21日 (土)

マドンナとジョン・レノンに見る世界の変え方。

  07年、77日。
 この7が3つつく日に、世界では何があったか、皆さんご存知でしょうか?
 答えは、“Live Earth.
 Mr.G.W.Global Warming<地球温暖化>)こと、アル・ゴアがオーガナイザーを務め、“Climate Change.(気候変動)”をテーマに、世界6大陸、9都市を舞台にして行われた.ライブ・コンサートの事だ。参加アーティストは100人を上回り、イギリスでは、Madonnaに、レッチリ。ドイツではShakira。南アフリカでは、Joss Stone. NYでは、Kanye West.そして、京都の東寺では再結成されたYMO.が、コンサートをした。それは、世界10億人以上の人が、何らかのメディアを通じてライブ視聴したと言われ、ネットの動画ストリームでは900万の利用者が出たそうだ。MSNのサイトでは、まだ無料視聴をやってて、見たい方はこちら

 要するに、Live Earthとはその名の通り、地球イヴェントだった。しかしだ。僕がそれを知ったのは、それから1週間以上が過ぎてのことだった。確かに、僕がその間、世界のニュースにアクセスしてなかったのも悪い。だけど、ちゃんとしたメディアがある国なら普通、こんなニュースは大々的に取り上げるワケで、誰もが自然にそれを知らされるハズだ。
 だけど、日本は数少ない普通じゃない国の1つだ。ライブ・アースに対する日本の主要メディアの反応はよく知らないが、どこも大きく取り上げなかったのは目に見えている。2年前のこれまた地球イヴェントな“Live-8.”の時もそうだった。しかも、その時も今回のLive Earth.でも、日本は参加国の1つだった。
 とにかく、日本ではボ----っと暮らしてると、世界からおいてきぼりを食らうことになる。

 Live Earth.この地球ライブのテーマ・ソングは、マドンナの歌う、“Hey You”だった。下に置いたのは、そのYouTube.用に送られたPVだが、すばらしい曲だった。というワケで、皆さんもどうぞ、ご覧あれ。
 
 これは基本的に気候変動へのアクションを促す歌で、ワールド・ワイドなメッセージ・ソングらしく、リリックはシンプルな英単語でつづられた分かりやすいものだ。
 そして、最大のポイントは、この曲が、環境派な人々に対する仲間内ソングじゃないということだ。歌を聴けば分かるが、タイトル“Hey You”のYou とは、環境活動への懐疑派を指している。つまり、この曲のテーマは、彼らに対してエコ精神や博愛を目覚めさせようとする事だ。そこには、いつも世界に変革を求めるMadonna.らしさがある。
 そのHey You.のある、YouTube.ボックスのコメントらんを見渡すと、アメリカにはいかに懐疑派が多いかが分かる。“手遅れだ。” “ポップスターや政治家が知名度を上げるためにでっち上げた、ムーヴメントだ。” はたまた、“地球を救うというスローガンには、人間のゴーマンさがある。温暖化が進んでも地球は全くOK.で、人類が絶滅するだけだ”といった、自然主義的ニヒリズムまでがある。
 Madonna.はそんな連中に、Hey You!と言ってるのだ。けれど、マドンナ自身にもエコへの懐疑がなければ、こういう曲は作れない。彼女は心の闇に潜むそんな彼女自身にも、Hey You!と言ってるに違いない。Zfablove
Live_earth  
 










 そこで、僕は、ジョン・レノンの“All You need is Love.(愛こそすべて)”を思い出した。
 これはビートルズ時代のJohn.の名曲だ。そしてこれは、“Our World.”という人道企画の元、BBCの衛星中継を通して全世界にライブ・パフォーマンスされた曲でもある。世界26カ国、3億人以上がTVで見たと言われるもので、当時のメディアとして世界初の試みでもあった。
 つまり、このAll You need is Love.は、今回のLive Earth.でのマドンナの“Hey You”とほぼ同じ状況で作られた曲だ。そして、その曲作りの姿勢も共通している。
 これは甘々なラブ・ソングとして有名で、日本でもひどい誤訳、誤解を受けている曲だ。実際、そのリリックはAll You need is Love.という1文をのぞけば、愛への否定的態度に満ちている。
“作られてないものを作ることは出来ない。救えない人を救うことは出来ない。でも、自分の時間に浸ることは出来る。そっちの方がイージーだろ” シンプルに訳せば、こういう詩が唄われている。そして、その本質には、世界を変えることへの絶望と、自分だけの世界に逃げ込むことへの誘惑がある。
 John.はそんな文句を並べた上で、All You need is Love!(そんなお前に何より必要なのは、愛だ!)と叫んでいる。だからこそ、この1フレーズは強烈に響くのだ。
 この1曲は、そんな孤独の最果てに落ちた人々にこそ向けられている。そして、John、自身にもそんな自分があるからこそ、
こういう曲が作れる。つまり、All you need is Love.You.には、彼自身もふくまれている。John.はこの曲を自分自身への警鐘としても作ったハズだ。
 
 そこに、Live Earth.のために、Hey You.を作ったマドンナとの共通点がある。要するに、John.Madonna.も、博愛という甘いテーマを打ち出しながら、それに対して否定的な自我があることを暗示させている。その上で、それを克服することを多くの否定派に、そして自分自身に訴えている。
 そういう自我の葛藤の中に、本物の愛や誠実さがある。ジョンとマドンナ。この2人に対して、ポールやセリーヌ・ディオンなんかのラブ・ソングが浅はかなのは、何の抵抗もなく愛を歌い上げているからだ。また、それは日本で流行る大半のラブ・ソングにも言える。
 世界平和やエコが、人類の歴史上、正しい選択なのかどうかは分からない。ただ、少なくとも世間のニヒルな流れや、自身の無気力さに身をまかせるよりかはマシだ。真実とは、そういうイージーな方向には絶対ない。
 John Lennon.Madonna. 彼らは、世界に変革を促しながら、自分に対しても変革を迫るアーティストだった。■



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 P.S.

 これはMadonna.本人のブログの1記事、“It's All an Illusion”に貼ってあった図です。左が怒ってる人で、右が冷静な人に見えるハズです。だけど、PC画面から2-3mほど離れて見ると、あらフシギ。それがスイッチして、見えるハズです。
 マドンナによると、グラスゴー大学の人(たぶん教授だろう)による発明だそう。彼女はこれに対し、私たちが普段、見ているものが確かじゃない事の証明だわと書いている。世界の価値観をひっくり返し続ける、彼女らしいブログ記事で、まったく感心、感心。あ、でも、目の悪い人には、スイッチして見えないかも。どうなんだろうか?■

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2007年7月15日 (日)

孤立と自己ギマンの果ての原爆。<前半>

【PREFACE】
 今回の、Blog.テーマは「原爆」だ。ドカーン。これから、2回に分けて、ヒロシマ・ナガサキに落ちた原爆について長々と論文調に書く。ドカーン。1体何のために、僕はそんな事をするのか。大学の単位のためでも仕事のためでもアフィリエイトのためでもなく、このブログに熱心なリピーターがいるワケでもない。
 前回、僕のブログ観について書いたが、そこにもある通り、第1にはジコ・ケーハツのためにやる。自分を少しでもマシな人間にするためにやるのだ。そして、それが誰かの人生観に影響を与えたり、有意義なコミュニケーションに発展したりすればという望みがある。少なくとも、僕は自分の頭の良さをひけらかすために、こんな事を時間かけてやりたいワケじゃない。だけど、もし読んでて、そんなキドリが見えたら“クソ野朗!”というコメントを下さい。
 そして、まず断っておきたいのは、僕は先生や教授や学者でもなく、プロのライターや作家でもないという事だ。ただのシロートであり、昨日も松嶋かえで
のAVを借りてきたような男だ。ただ、僕は今まで、原爆、このヒロシマ・ナガサキに落ちた爆弾について、色んなメディアを通して人並み以上の情報と思考を積み重ねてきたとは思う。まず、これを読む人には、この原爆エッセイが、そんな男の手によるものだと断っておきたい。
【原爆2元論と日米の平行線】
このエッセイのキッカケになったのは、今週号(07年7月18日号)の、ニューズ・ウィークの1記事だ。それは、最近の久間防衛相の「原爆・しょうがない」発言による政界スキャンダルを受け、あらためて原爆投下について検証するという内容だった。テキストは、ネッド・バーネットという1970年代からのキャリアがある、軍事研究家によるものだ。
 僕は今まで、原爆について考えるたびに、Yes.と、No.の波にアップアップとおぼれていた。つまり、こう考えると、原爆は正しい、だけど、こう考えると、間違いだ、といった堂々巡りを続けていた。しかし、このバーネットの記事について考えるうちに、そうなる理由が分かった。
 結論から書けば、それはこの原爆投下が、究極的に2つのポイントで判断されるもので、その2つが完全に相反し合ったものだからだ。
 その2元論とは、理論的観点と人道的観点だ。そして、そこには、アメリカと日本が原爆問題について、いつまでも平行線をたどり、共鳴し合えない理由もある。これについての突っ込んだ意見は、後半に回したい。Nagasaki1a
【日本人の精神遺産】

 Newsweek.のバーネットの記事をキッカケに、上に書いた原爆の2元論に至った。それと共に僕は、理論的観点では、原爆・肯定派、容認派だという態度を固めた。
 もちろん、人道的には認められない。アメリカは、ヒロシマ・ナガサキで人類史上最悪の罪を犯したのだ。僕も、世界で唯1の被爆国に生まれた1人だ。被害者の味わった壮絶な痛みや悲しみや虚しさは、少し想像を働かせば、胸を熱く揺るがすものになる。同じ日本人なら、多くの人が共感してくれるだろう。道徳臭くなるが、それは日本人がどんな時代にも共有すべき、“精神遺産”とでも言えるものだ。
 しかしながら、理論的態度として、僕は原爆・肯定派である。
【過剰殺戮の意思はあったのか?】
 さて、Newsweek.誌のネッド・バーネットによる記事について書いていこう。それは、僕の原爆への態度を変える大きなキッカケになった。とはいえ、2-3文をのぞけば、僕はその内容のほぼ全てに反対だ。
 まず、バーネットは歴史の修正主義派(つまり、原爆反対派)が、時代の観念の変化によって、この原爆投下をとらえてきたという。彼によれば、当時のアメリカは原爆に対して、核という認識がなく、ただの大型爆弾だと思っていた。その被害予想にしても、東京大空襲の延長のようにとらえていた、という。
 つまり、アメリカは過剰な殺戮兵器と知りながら原爆を落とした、という反対派の意見は、戦後に生まれた核不拡散のムーヴメントの中で生まれた、でっち上げだ、と言いたいのだろう。
 だけど、これは明らかにおかしい。核の認識がなくても、当時のアメリカは第2次世界大戦の最終兵器として、原爆を使ったハズだ。“これは人類史上最悪のジェノサイドになるかも知れない” アメリカにはそんな意識があったハズで、原爆投下は、大罪を自覚しながらの行為だったハズだ。
【人体実験の可能性と飢えの懸念】
 次に、バーネットは原爆の実験性を否定してる。ヒロシマの前に、米軍はニューメキシコで実験をしてるので、その意図はなかったというワケだ。が、それはバカげた反論だ。なぜなら、それは人体実験じゃないからだ。原爆が1体、どれだけの人を殺せるのだろうか? アメリカは間違いなく、それを知りたかったハズだ。その実験性を裏付けるように、ヒロシマとナガサキでは、2種類の原爆(プルトニュウムとウラン)が使用された。
 また、バーネットは、原爆によってアメリカが早期終戦を望んだのは、日本人の飢えを防ぐためだったという。戦争が46-7年まで延びれば、民間人の餓死者は、数100万人出たという。だけど、当時のアメリカが日本の食糧事情に精通してたとしても、その考えはあまりにセンチメンタルだ。あれだけ、徹底抗戦してた敵国にそんな同情を持つワケがない。これこそ後の時代になって、でっち上げた空論だ。
  【パワーを求めたアメリカ】Alberteinsteinatomicbomb

  1方で、バーネットは、歴史修正主義(原爆反対)派にとっての最強の意見も取り上げる。 それは、アメリカが戦後、世界の唯1の超大国として君臨したかったため、原爆を使ったという事だ。終戦間際になって、ソ連もまた日本戦に参戦し始めた。そのため、アメリカは戦後の日本をソ連と分割統合したくないと焦り、原爆を落とした。バーネットは記事の中、これにだけは直接的に反論してない。それもそのハズで、これは原爆投下のモチベーションとして、大きな位置を占めるものだからだ。
 そもそも原爆とは、アメリカの力への欲求から生まれたものだった。
 原爆の父とされる、アインシュタインは熱心な平和主義者だった。だが、ルーズヴェルト米大統領から、ナチスが原爆計画を着々と進めているという手紙をもらい、心変わりをした。つまり、悪を止めるには、大きな力が必要であり、それは未来平和への力にもなると考えた。だが、当時のアメリカ政府高官の誰もが、ナチスの原爆実験が失敗してることを知っていた。つまり、連中はアインシュタインをだまして、原爆作りの基礎となったマンハッタン計画に彼を加担させたのだ。原爆の歴史の始まりは、アメリカによるスーパー・パワーへの欲求からだった。それは、戦争抑止や、世界平和とは無縁のものだった。
【世界とソ連への力の誇示】
 そうして、それはヒロシマ・ナガサキへの原爆投下にも反映されている。だけど、果たしてそれが、第1の理由なのだろうか? 僕はそうは思わない。
 そこで先に書いたバーネットの意見が浮かんでくる。歴史的な出来事がその後の時代の流れの中で、歪曲させられる。第2次大戦後、世界は米ソにまっ2つに分かれ、冷戦の時代に入る。その結果論から、原爆投下が、アメリカによるソ連へのイカク、けん制に見えるんじゃないだろうか? このアメリカの力の誇示論も、戦後の流れの中で出て来た、でっち上げ批判じゃないだろうか? 僕はそう思える。
 原爆投下の前、アメリカはすでに西ヨーロッパや太平洋の戦いで、数々の歴史的勝利を収めてきた。すでにそのパワーを世界中に誇示していたのだ。ソ連に対するイカクという事も、原爆への大きなモチベーションにはならない。当時のアメリカは遠い遠い異国のソ連について多くを知らなかったハズだ。そして戦後、ソ連との冷戦時代に入ることは、予測はしてても確信までしてなかったに違いない。 
 【日本における主な否定論】
 特に日本人の原爆反対派の最大の意見は、こうだろう。過剰な無差別殺戮をもたらす核兵器を使用することは、どんな理由があっても絶対に許されるものじゃない。
 または、日本が講和条約の努力をしてたのに、アメリカがそれを受け入れず原爆に走ったというのもよく聞く。まず、この後者の意見は的外れだ。あれだけの大戦争が講和という妥協の形で終われば、間違いなく後々にも戦争の火種を残すことになる。戦争とは次世代の平和のためにも、徹底的にやり合わねばならないものだ。また、日本の敗戦が決定的なのに、原爆を落としたという意見もある。が、これは問題のすり替えだ。原爆は確かに、アメリカの追い討ちだった。だけど、そうさせたのは日本だ。日本こそが、敗戦が決定的な状況でも降伏せずに、戦争を引き延ばしたのだ。
 
  そして、1つ目の絶対的な平和・人道主義とでも言える論に移る。この点で見れば、どう考えても原爆投下は間違っている。これに対し、NW誌のバーネットは、戦争下の道徳というもので対抗している。“戦争下における最も重要な道徳は、被害を最小限に抑えて、戦争を終わらせることだ”確か、そんな文面だった。それは、彼の文面の中で共感できた数少ない1文だった。
 それは正しい。より大きな暴力と被害を未然に防ぎたい時。その時にだけは、暴力は許されるハズだ。つまり、道徳とは、平和時と戦争時では異なるものになる。NWのバーネットによれば、もし本土決戦になってれば、どう少なく見積もっても、アメリカ兵だけで数100万の犠牲が出たという。
 もし、それがでっち上げの計算だとしても、道徳の柱である人命尊重の点で、日本はアメリカを攻められない。なぜなら、大戦中の日本は、アメリカよりも日本国民の命にムトンチャクだったからだ。 
 後半に続く。<リンク>

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孤立と自己ギマンの果ての原爆。<後半>

                          原爆・エッセイ。<後半>
 【思想の闘い?】
 
第2次大戦中、人命の尊重という点で、日本はアメリカよりも日本国民の命に無関心だった。
 もし、大日本帝国のトップたちがマジに自国民のことを考えていたら、太平洋を取られ、本土の制空権を握られた時点で降伏してただろう。その無情さを何よりも伝えるのが、ナガサキの原爆だ。僕にとってそれは1発目よりもショッキングなものだ。というのも、それは日本がヒロシマの大惨劇を受けても降伏しなかったことを意味するからだ。ここまで来ると、何もかもがクレイジーだ。
 が、その流れは、理解できるものでもある。 当時の日本は、死と集団を前提にした神秘主義の国だった。1方、アメリカや連合軍国家は、生と個を前提にした合理主義に貫かれていた。第2次大戦は、このイミで、思想の闘いだったとも言われている。
【日本の自己ギマン】
 しかしだ。日本はホントに神の国だったのだろうか? もし、生きるとは死ぬことにありみたいな東洋思想にハマった国だったら、日本はいくら原爆が落ちようとも降伏しなかったハズだ。
 それこそ、村上龍サンの小説「5分後の世界」みたいになってただろう。このシミュレーション・フィクションでは、5発の原爆が落ちても日本は降伏せず、本土決戦になって大虐殺の果てに大日本帝国は消滅する。だが、その後わずかに生き残った人が地下にゲリラ組織を作り、占領国に抵抗を続けるというのが大筋だ。
 だけど、この話には根本的な矛盾点がある。生存した日本人は過去の敗戦の経験から命の尊重と、科学的戦略を学び、占領軍に組織的な抵抗を繰り返し、世界中から尊敬される存在になる。もし、本土決戦をしなかったら、日本は無知なまま命を尊重できないまま、何も学べなかったかも知れない。といった文面もある。
 だけど、それは反対だ。
 日本は本土決戦をしなかったからこそ、西洋の思想を学べたのだ。もし、度重なる原爆と虐殺の果てに日本が滅びたなら、残されたわずかな日本人の多くは自殺していただろう。なぜなら、大日本帝国は高貴な死の思想の元に滅んだのだから、残された人もそれに従うだろう。そして、日本消滅は、東洋の神秘主義を何よりも伝える、人類史の巨大なピースとなったことだろう。
 だけど、実際はそうはならなかった。日本は、2度の原爆で無条件降伏したのだ。
 という事はだ。日本は、死に根づいた神の国なんかじゃなかったのだ。そのフリをしてただけだ。日本を降伏に至らせたものは、何だったのか? 「自分の頭の上にいつ原爆が落ちてくるか分からない」 お偉方も国民もそういう迫りくる死の意識に、降伏したのだ。1013abomb1
【コミュニケーションと集団幻想】
 じゃあ、日本が自分を見誤っていた原因は何なのか? それは結局、他の国とコミュニケーションしなかったからだ。それこそが、正しい自己認識を生む。だけど、当時の日本は島国らしく孤立したまま近代化し、1時的に生まれた軍事政権の熱狂的な扇動で、「神の国」という集団幻想を持つようになった。
 それが、2発の原爆で吹っ飛んだのだ。
 日本が西洋型の合理主義に順応することは、その後の高度経済成長で実証ずみだ。ドイツもまた本質的に日本と同じ道をたどった。それは、洗脳とか迎合じゃなく、日本やドイツには元から外部世界と共有できる思想があったからだ。それとは逆に、アフガンやイラクでは、いくらアメリカが占領統治し続けても西洋主義が芽生えないが、それは中東の人々にその根がないからだ。
 さて、原爆責任について、考えていこう。
 日本の側にあるという中でなら、その1般的なのは、皇族なり軍事政権の閣僚なりといった1部の人に押し付けるパターンだ。だけど、それはそんなレヴェルのものじゃない。彼らは、突然変異のように生まれ落ち、日本を大悲劇へとミス・リードしたバケモノじゃない。彼らだって日本人だ。その決定や行動には、大多数の日本国民の意思も反映されていた。
 この責任は、壮大なものだ。先に原爆被害への共感は日本人の精神遺産だと書いたが、この責任意識もまたそうだ。当時の日本人はもちろん、それは今を生きる日本人も共有していかなくてはならないものだ。今の日本にだって、戦争時と変わらない集団幻想がアチコチで見れるのだから。
【アメリカの無情さ】
 原爆責任という点で、次にアメリカを見てみよう。先に書いたそのモチベーションを整理すると、世界やソ連への力の誇示と人体実験の意思があった。だけど、第1には戦争下の最高のモラル、最小限の犠牲による終戦の意思がくる。それは、最もありきたりな結論だが、真実だ。
 こういうイミで、僕はアメリカ原爆投下に対して肯定派だ。だけど、それは理論的な観点での態度だ。
 人道的には、アメリカを容認できない。先に書いたように、アメリカの原爆投下は、戦場の道徳で正当化できるものでもある。
 けれど、それは理論上のモラル・バリューであり、シンプルでいて普遍的な道徳には反している。つまり、過剰な殺戮行為である事を知りながら、それが大罪と知りながら、それを実行したのだ。その点で、アメリカは明らかに過ちを犯した。
  しかし、アメリカは、未だに公式に原爆問題で、日本に謝罪してない。すごくクレイジーだ。
 例えば、車を運転してて、危険な飛び出しをした子供をはねたとする。その子は即死した。が、非は明らかに子供にあり、運転者は法的に罪を問われなかった。しかし、その場合でも、運転者は家族に会いに行き、心から謝罪しなければならない。
 要するに、ことの客観的な是非と、道徳的な善悪は別物だという事だ。原爆問題でアメリカは、この2つを混同し、幼稚でガンコな態度を取り続けている。
【日本の無知さ】
だけど、同様の批判が、日本にも当てはまる。日本もまた、原爆問題に関して、アメリカに柔軟な態度を示してないからだ。
 ここで、このエッセイ冒頭に書いた、原爆・2元論に戻る。原爆投下は、究極的に2つのポイントで判断される。理論的観点と、人道的観点だ。そして、これはアメリカと日本の態度とも重なる。アメリカは、常に理論の立場で原爆をとらえ、自国を正当化してる。逆に、日本は人道の立場で原爆をとらえ、自国を正当化してる。要するに、どちらとも原爆に対して有利な立場で、相手国と向き合っているのだ。理論ではアメリカが勝ちで、人道では日本が勝ち。というワケで、いつまでたっても平行線をたどるのだ。
 ここでの解決策は、どちらか1方でもいいから相手の立場に立って自らの非を認めることだ。例えば、日本政府から、「歴史理論上、戦争道徳上の観点で原爆投下を振り返ってみると、アメリカの決断は正しいものだった。」と、公式表明したとする。そうすれば、ほぼ間違いなく、アメリカも柔軟さを見せるだろう。「原爆投下は戦争上不可避なものだったが、人道的観点からは許されないものだった。」みたいな公式声明が返ってきても、フシギじゃない。
 だけど現実は、どっちの国も62年もの時をはさみながら、お互いの有利な立場に引きこもったまま原爆について、真のコミュニケーションを交わそうとしていない。
 【久間ショックに見る、変われない日本】
 久間防衛相の「原爆・しょうがない」発言に触れると、そこにも日本の引きこもりの姿が見える。僕は、キューマ防衛相の原爆発言の要旨を読んだ。読みたい方は、この、IZA.のリンクで。
 それを読めば、彼が理論的観点の中で、「しょうがない」を使ったのが、すぐに分かる。彼は、アメリカの人道上の罪を容認してるワケじゃない。なので、それは決して被爆者や遺族を傷つけるものじゃない。原爆使用の肯定意見であり、それは自由思想の日本では許されることだ。Abre_lo_ojos_1
 けれど、原爆反対派や世論は相変わらずの人道的、被害感情的な立場から、キューマ大臣を1気に叩き潰してしまった。彼らによれば、キューマ発言は、アメリカよりの考えだという。彼らは、理論的観点とそれを完全に混同している。
 キューマ発言は、原爆に対する日本の引きこもり状態を解き放つ、チャンスでもあった。もし、この発言が国民の支持を得て、政府としてアメリカにその意見を伝えたら。先に書いたように、原爆に関する真のコミュニケーションが生まれるキッカケになっただろう。
【青空】
 現代の日本にも、色んなレヴェルで、共同幻想が存在する。他者、他国と心からコミュニケーションしようとしない結果、自分を見誤り、どんどんフリーキーな存在になってゆく。それは半世紀以上前、原爆を招いた大日本帝国の正体でもある。また、それはあらゆる悲劇の本質だ。
 日本は未だに、あのキノコ雲の中にスッポリ覆われているのかも知れない。そんな中で、僕らが少しでも自由になろうとする方法。それは、どんな相手にも、まったくの他人や憎いヤツにも、理解と寛容の気持ちと共に接しようとすることだ。ありふれた答えだが、結局そこにたどり着く。
 キノコ雲を払って青空を見上げるためには、そういう努力が必要なのだ。■

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2007年7月 9日 (月)

100年に1度のテニス

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 ウィンブルドン-2007、男子・シングルス・ファイナルが、8日、日曜日、当地のオール・イングランド・クラブで行われた。R.フェデラー(スイス)と、R.ナダル(スペイン)という1・2シードの対決になり、両選手ともに大記録のかかった歴史的名目のある闘いになった。試合内容もそれに劣らず大接戦となり、5セットマッチで総時間、3時間45分というウィンブルドン史上3番目に長いファイナル・マッチとなった。
 勝ったのは、R.フェデラーで、スコア{7-6(9-7) 4-6 7-6(7-3) 2-6 6-2}
 これで、フェデラーは5連覇を達成。100年のウィンブルドンの歴史で、1980年のB.ボルグ以来、2人目の大記録を樹立した。1方のナダルは、これまたボルグ以来、初となる全仏・全英、連覇の夢をたたれることとなった。

【テニスって、長すぎない?】

 テニスの試合時間には、いつも不満がある。もっと短くすべきだ。ルール改正によって、それは可能だ。僕が1番に望むのは、デュース制度の緩和だ。例えば、セットの中、どちらかの選手が4ゲームを取るまで、デュースをなしにする。そうすれば、平均・試合時間は今の2/.くらいになるだろう。女子なら1時間。男子なら2時間弱。たった2人の選手があんなせまいコートで闘うスポーツには、それくらいで充分なもんだ。だから、僕はいつも男子テニスの試合は、ライブでは見ない。
 ウィンブルドン-07.決勝、Federer v Nadal.この試合は、サッカーの2試合分以上の長さ、映画「Titanic」の上映時間を遥かに超える長さになった。まったく、フザけるなという所。
 しかしだ。僕はこの3時間45分を長く感じることはなかった。時々、本を読んだり、アレしたり、別室で鈍った体をストレッチしたりしたものの、大半の時間、TVを見続けていた。芝の2人に、ずっと魅了されていたのだ。というワケで、こういうゲームには現状のルールが1番だなと学ばされたのだった。
【勝負を決めたポイント】
 Federer.と、Nadal.この2年連続の、Wimbledon・Final。これは、きっと世界のスポーツ界にとって、今年、No-1のスポーツ・モメントとなるだろう。そして、テニスの歴史にとって、100年後のテニス・ファンに語られていても、フシギじゃない闘いだ。
 この大接戦の勝敗を分けたのは、サーヴだ。 Federer.は、Fed-Express.と言われるように足が超速く、ネコのようにコートを駆け回る。それと共に、このゲームでも、サーヴが冴えていた。結果、Federer.のサーヴィス・エースは24.それに対し、Nadal.はたった1つ。Nadal.も試合後、敗因を問われて1番に挙げたのが、サーヴの差だった。彼のサーヴの平均速度は、Federer.より10マイルも遅く、女子の、V.Williams.の平均とほぼ同じ速さだ。
 しかし、ストローク合戦では、Nadal.のクセのある左手打ちが、Federer.のミスを誘う。4セットの途中では、Federer.の凡ミスが、Nadal.のそれを10も上回った。
 しかし、5セット目に入ると、それも変わる。Federer.が2度、15-40.のブレーク・ピンチを切り抜けた時だ。どの新聞・ニュースでも、そこがこのゲームの勝敗を分けた、Defining Moment.として語られている。この2度の大ピンチを、Federer.はサーヴで乗り越えたんじゃない。ストローク戦で、勝ち続けたのだ。そうなった1番の要因は、Nadal.の凡ミスだ。彼はこの1番大事な局面で、凡ミスを連発し、その後のゲームでもそれを引きずった。これはもう、チャレンジャーの最大の弱み、勝つことへの戸惑いが出たとしか言いようがない。08cndmen2_600
【素晴らしきライヴァル】
 勝利が決まった瞬間、Federer.はコートに、文字通り崩れ落ちた。スローで見ると、「フェデラー、誰かにライフルで撃たれたか?」というものだ。それは、物静かな彼の内側に、どれだけパンパンに張り詰めたエナジーがあったかを伝える。
 しかし、この日の、Federer.は、いつものジェントルマン・スタイルを貫けなかった。新導入された、Hawk eye Challenge.で、ことごとく不利な判定を下され、4セット目には主審に毒づくばかりか、椅子に座ると、「Shit! It(Hawk Eye)is Killing me today.」ともらした。そして、5セット目には、Nadal.顔負けの闘志溢れるプレーを見せた。もちろん、そんな、ジェントルマンの野生を引き出せるのは、Nadal.だけであり、まさに好敵手である。
【フェデラーのハート】
 僕がこのゲームで最も心を動かされたのは、Federer.のネット・ダッシュだ。Nadal.のパッシング・ショットは天才的で、Fed.はネットに出るたびにポイントを失った。が、幾ら抜かれても、Fed.は、当たり前のように何度もネットに突進してゆく。そこには、スポーツを超えた美学があった。そこには、見る人の人生までポジティヴに変える力があった。Federer.がテニス・コートでネコのようにネットへ詰めてゆくのが見れる限り、この世界は大丈夫だな。彼を見てると、そんな臭いセリフがポロっと口から出てきたりもした。
 幾ら、Nadal.がサーヴの精度を上げても、こういうハートがある限り、Fed-Express.は止まらない。そう確信させるプレーだった。Wimbledon.6連覇と言わずに、8連覇を期待したい。前人未到のその連覇記録と共に、Pete Samplus.の持つ7回制覇の記録をも打ち破ってほしい。Federergirlfriend2163

【恋の5連覇達成!!!

 ところで、この試合には、もう1つの5連覇があった。それは、ファミリー・ボックスで応援してた、Federer.の恋人だ。
彼女は確か、Federer.が、Wimbledon.初制覇した時にも、そこにいたような気がする。つまり、彼女はこの5年連続、Fed.の恋人の座についているのだ。この若くてハンサムなチャンピオンの人生には、もちろん数限りない女の誘惑があるハズで、その中で、5年もずっと彼を手中にしてるのは、まったく奇跡的だ。もう、結婚してるとしてでも、すごい。
 また、今年に見る彼女は、まるでサイのような巨体に変貌してて、Federer..をキープ出来てるナゾは、ますます深まるばかりだ。とにかく、カレシがスポーツの世界でそうしたように、彼女の方は恋の世界で大記録を達成したと言える。■

P.S.
フローラン・ダバディーさんのブログで、Federer.のコミカルなNIKE・CMを見つけたよ。
 Sharapova.のCMといい、NIKEのCMのセンスの良さには、いつも感激。
 Federer.が見たい人は、
こちら。
 
Sharapova.が見たい人は、こちら。 英語が聞き取れなくても、内容は分かるよ。

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2007年7月 5日 (木)

100%のヴィーナスには誰も勝てない。

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ウィンブルドン・2週目の水曜日、女子シングルスの4回戦。今大会・No-2シードのM.シャラポワと、ウィンブルドン3回の優勝歴がある、V.ウィリアムスが対戦。スコア{1-6.3-6}で、ウィリアムスが勝利した。試合全般を通じて、ウィリアムスのサーヴが冴え渡り、シャラポワはリターン・ゲームで1つのブレークもできず、デュースもわずか1回に止まった。その結果、試合時間、1時間20分のワンサイド・ゲームに終わった。
 1方、同日に行われた女子シングルス・準々決勝では、今大会・No-1.シードの、J.エナンと、過去2回優勝の、S.ウィリアムスが対戦。スコア{6-4.3-6.6-3}で、エナンが勝利した。エナンは、知的な戦略と多彩な技で、S.ウィリアムスのミスを誘うプレーに専念した。芝の対戦では分が悪いエナンだが、S.ウィリアムスはテーピングを脚の下半分に巻くほどに足を負傷しており、それが勝負の行方を左右することにもなった。

 4回戦について言えば1言。「Venus.アンタ、強すぎだよ。全然、年取ってないじゃん、アンタ、バケモンだよ。」 という所。とにかく、Shareapova.のテニスがどうこうという問題じゃない。Venus.の妹、Serena.がよく「私が100%の力を出せれば、誰も勝つことは出来ない」と言ってるが、それはもちろん姉にも当てはまる。このゲームで、Venus.はそういう圧倒的なプレーを見せつけた。この、Venus.にはおそらく、全盛期のグラフやナブラチロワでも勝てないだろう。
 また、Sharapova.は肩を負傷していた。この数ヶ月、試合がない期間でも、毎日2時間半の治療を受けていたという。強風もあったが、この試合で彼女のサーヴが乱れたのも、そういうワケがある。試合後の彼女のコメントでは、「2セット目から、サーヴのスピードが普段の115マイルに達して、かなり安心した。だけど、これからすぐ家に帰って、ドクターに肩を緊急診療してもらう」ともらした。
 そして、Venus.の脅威はサーヴやストロークのパワーだけじゃなく、フットワークにもある。コートの端から端まで豪速球で振られても、返せますよ!というスピードなのだ。それはまさに、バケモノだ。
 それでも、この試合、Sharapova.は、裏をつくボール運びで幾つもウィナーを決めた。また、過去の敗戦の経験を生かし、まともに打ち合わずにロブなどの小技を多用した。が、それでも、Venus.のパワーとスピードには、まるでかなわなかった。
 このゲームを見た世界中のテニス・ファンは、きっと今大会の女子の優勝者が、Venus.だと確信したことだろう。No-1.シードの、Henin.にしたって、彼女にはコテンパンにやられるに違いない。B_10_henin_269_gettyimages_a_livesey_1

 Henin.は同日のQ.F.で、Venus.の妹の、Serena.に競り勝った。しかし、Serina.は足の下半分をテーピングでグルグル巻きにするほどに負傷していたのだ。
 確かに、このゲームの、Henin.は素晴らしかった。スマートな展開と豊富なショットが冴え渡っていた。トップ・スピン・ロブに、ドロップ・ショット。特に相手のパワーを利用して放つ、ライジング・ショットが良く、その創始者たる伊達公子のキレを上回るものだった。それらによって、Henin.はゲーム展開に緩急をつけ、Serena.のミスを呼び込んだ。まったく、Sharapova.にも、こういう頭と技があったらなぁと思わせるものだ。
 だがもし、Serena.の足の負傷がなければ、Henin、に勝つ見込みはなかっただろう。Henin.の戦術の核は、Serena.の負傷した足に体重を乗せさせるような動きを引き出すことにあり、彼女はそれに見事に成功した。

 決勝はおそらく、Henin.と、Venus.のカードになるだろう。そして、僕が思うにそうなれば、Venus.の楽勝に終わり、Henin.の生涯・グランド・スラムの記録の夢は果かなく消えることだろう。というのも今の、Henin.以上に頭と技のあった全盛期の、Martina Hingis.でさえ、Venus.のパワーとスピードには勝てなかったのだ。Venus.が自滅しない限り、彼女の、Wimbledon.4回目の優勝は固い。

 ところで、Venus.と、Sharapova.の試合には、1つ大きな疑問点がある。これが、4回戦のカードだという事だ。Wimbledon.公式ウェブの記事にもあったが、これは明らかに早すぎる対戦だ。もちろん、そうなるのは、Venus.のシードが23位と低いからだ。が、彼女の、Wimbledon.での実績と今のコンディションの良さを考えれば、トップ・シードでもおかしくない選手だ。
 Wimbledon.は、WTAランク以外の要素も混ぜて、トーナメント・ドローを作るべきだ。何にしても、Sharapova.の早期敗退は、Wimbledon.への世界のメディアと人々の関心を最も失わせるもので、1番に大損するのは、All England Club.に他ならない。B_10_vwilliams_217_gettyimages_c_brunski

 1方、Venus.のシードが低いのにはワケがある。彼女は間違いなく、WTAのランク・アップよりも、グランド・スラムに照準を当てるキャリア路線を取っている。それに対し、大半の選手は、グランド・スラム前に試合に多く出て、ランク・アップを図る。そうすればグランド・スラムの早い回で、強豪選手とやらずに済むからだ。しかし、その代償として、過密スケジュールによって、ケガをすることになる。
 今大会の、Sharapova.もその犠牲者だし、最近、24歳の若さで引退した、クライシュテルスもそうだ。そこには、この数年の女子テニス界の大ブームもある。それによって、試合数が増えたため、選手生命が恐ろしく短くなってきているのだ。
 その背後には、非人道的で強欲な、WTAがある。Venus.のキャリア路線は、それに反抗するという意味でも有意義なものだ。彼女のように実力があれば、幾らシードが低く、グランド・スラムの序盤で強豪と当たっても、勝ち抜いてゆける。何にしても、ケガで選手人生を縮めるよりは、遥かにマシだ。今大会、Venus.が優勝すれば、その路線に転向する選手はもっと増えることだろう。■

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2007年7月 4日 (水)

ヴァイディソワと、ヒトラーのちょっとした関係

 ウィンブルドン・2週目の月曜、女子シングルス・4回戦。去年のチャンピオン、A.モーレスモ.と、チェコの18歳、N.ヴァイディソワが対戦。{6-7・6-4・1-6}のスコアで、ヴァイディソワが勝利した。今大会、1番のアップセットになりそうなこのゲームは、3度の降雨中断をはさむ2時間以上の長期戦となった。
 僕はNHKの深夜放送で見ていたが、ホントに長く感じさせるゲームだった。現地解説者の、John McEnroe.が、「毎年信じられなく思うのが、こんな雨でクソ長くなった試合をずっと見続けてくれる、このWimbledon.のお客さんだ」みたいな相変わらずのイギリス人への皮肉めいたアメリカン・ジョークを言ってた。
 しかし、僕にとってそれより信じられないのは、NHKだ。NHKは録画放送なのだが、ほとんどカットせずに流しているのだ。しかも、深夜0時から、3時前までの間だ。そこには、娯楽を提供するメディアの誠意のセの字も感じられない。また、それは毎年のことだ。これで、月・2000円以上の視聴料の値下げをしぶってんだから、いい気なものだ。NHKが完全料金制度にしないのは、そうすれば集金世帯が今の10%以下になるからにすぎない。と、ここでNHK批判してもしょうがないけどね。4_1
  そんな腐りきった公共放送曲でも、この夜の試合選択は正しかった。僕はTVに、Mauresmo.が映るとチャンネルを変えようとしたが、その相手が、Vaidisova.だと分かると、1気にマヌケづらになった。そして、この試合が何時間になろうとも最後まで見ようと決意した。
 というのも、テニス・ファンならご存知だろうが、Vaidisova.はカワイイのだ。まだ、Sharapova.には遥かに及ばないものの、今女子テニス界では、人気No-2.の選手だ。このゲーム、McE
nroe.と1緒に解説する、Tracy Austin.によると、彼女はすでにモデルの世界でも、大忙しだそうだ。
 そして、このゲームに見る、Vaidisova.もまた魅力的だった。顔は、“Swimming Pool”などに出てるフランスの若手女優、Ludivine Sagnier.をもっとタフにした感じ。服は胸元がグッと開いたもので、18らしく弾けるような色気がある。全体的にノンビリとした心優しい感じだが、見るものをハっとさせるような美しさも秘めている。
 そんなワケで、30男の僕もすぐに、トリコになった。
 
 だが、もちろんテニス選手としての才能もある。このゲームで最も光ったのは、片手打ちのフォアだ。それは優雅な動きと共に、強く鋭く、そして深く相手コートに突き刺さる。ちょっと顔も似てるが、まるで、Steffi Graf.のフォアさえ思い出させるような、ビックリの才能。
 そして、メンタルも強い。1セット目のタイ・ブレークで、Mauresmo.に、6-3.とリードされてても、決して集中力を切らすことはなかった。結局、そこから5ポイント連続ダッシュして、大逆転を果たした。
 それと逆に、Mauresmo.は、メンタルの弱さが出た。元々、感情の浮き沈みの激しい性格なうえに、この日は3度のレイン・サスペンディッドで、それがさらにかき乱されたようだ。最後のゲームでは、ボールを客席に打ってコード・ヴァイオレーションを取られる始末。結局、3セット目は、1ゲームしか取れず、彼女のWimbledon.2連覇の夢は消えた。

 ところで、僕は小説片手に、このNHKが流す長いゲームを見ていた。「サンショウウオ戦争」というタイトルのSF小説の古典的名作だ。それを読んでると、フイにある偶然に気づいた。その作者のチャペックが、チェコ人であり、TVの向こうで芝のコートを駆け回る少女、Vaidisova.もまた、チェコ人なのだ。
 そこで、長いゲームのヒマつぶしにと、僕はPCを起こし、Vaidisova.のバイオを調べた。1989年生まれの18歳。育ちはチェコのプラハだが、生まれはドイツのニュルンベルグ。
 ニュルンベルグ。そこで、僕の頭にカギ十字のマークが浮かんだ。ニュルンベルグとはナチス発祥の地で、ヒトラーが初めて首相になったのもそこでの事だった。それから、僕はついでに、ヒトラーのWikipedia.も見てみた。生まれはオーストリア。誕生日は、1889年、4月20日。
 と、そこで僕は、ハっとなった。すぐにネットを先のページに戻し、もう1度、Vaidisova.の誕生日を見る。そこには、1989年・4月23日とある。Adolf_hitler
 つまり、Vaidisova.は、ナチスの象徴的な街で、ヒトラー生誕100周年からわずか3日後に生まれたことになる。それはまったく数奇なことで、本人もこの忌まわしい偶然を知ってるかも知れない。まさかその呪いから逃げたワケじゃないだろうが、Vaidisova.は、その後、チェコに移住する。しかし、ヒトラー率いるナチスもニュルンベルグで誕生後、チェコを侵攻している。その後にフランスを落とし、西ヨーロッパ大陸を支配する事になる。
 1方、TVの向こう、Wimbledon.の芝の上で、Vaidisova.が戦ってるのは、Mauresmo.彼女の出身国はフランスだ。そんな偶然に気づいてから約1時間後、ヒトラーの影に彩られた美少女は、フランスのタフな娘を打ち負かした。 
 こんな風に、ちょっと想像を働かせば、まったく異なる物事が偶然にシンクロする事があるものだ。ごくたまにだが、そんな自分のバカな妄想と、現実が符号すると、ちょっと気持ちがいい。
 ちなみに、Vaidisova.が次のQ..で勝てば、セミ・ファイナルでは多分、Sharapova.か、V.Williams.と当たる。前者はロシア出身で、後者はアメリカ。もし、Vaidisova.がセミでこの2人のどちらかに負ければ、その時、この僕の妄想は完ぺきなものになる。■

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2007年7月 1日 (日)

水嫌いの白鳥、シャラポワ。

Swan_dressウィンブルドン、1週目・最終日の土曜、女子シングルスの3回戦で、今大会No-2シードのMaria Sharapova.と杉山愛が対戦し、スコア・6-3、6-3で、Shayapova.が勝利した。2セット、1時間強の短い試合だったが、全般的に2人はほぼ互角にプレイし続けた。ただ、ゲームの要所になると、Sharapova.が驚異的なファイティング・スピリットとパワーを見せつけ、杉山を圧倒した。また、ゲームの最終盤、審判による雨天延長の取り消しが、杉山にとっては大きな痛手となった。(このゲームについての、Wimbledon.公式ホームページによる記事のリンク) 
 この試合で、1番目を引いたのは、ゲーム内容じゃなく、Sharapova.の“Swan Dress”だ。白鳥の湖にインスピレーションを得たらしく、この写真のドレスがそうだ。白鳥の湖というバレエ曲は、ロシア人のチャイコフスキーが作曲したものなので、おお、シャラポ、まだロシア人の魂を捨ててないな、と思わせもする。が、彼女はそれについて、こんなコメントをした。
“it doesn't look as swan-ish as it does on me.” (白鳥っぽいていうか、私らしい格好だわ。) というワケで、さすが、個性派、Sharapova. 
 Wimbledon.を仕切ってる、All England Club.という組織には、White Dress Code.という伝統のルールがある。それは、すべての選手の身につける服を、白で統一するというものだ。そのため、ファッション好きの、Sharapova.は、このルールに、いつも反抗的だ。今回の、Swan Dress.は、彼女のこの4年の出場歴の中でも、最もユニークなものだ。なので、頭ガチガチの、All England Club.は否定的な態度を示した。が、Sharapova.は色が白ならどんな創造的なドレスでも、伝統的でしょ、と応戦。
 また、それにちなんで、彼女は1つジョークを言った。Wimbledon.には、Hawk Patrol.(タカの監視)と呼ばれる伝統があって、毎朝、ハトの被害から芝のコートを守るために上空にタカを放ってパトロールさせるらしい。それに引っ掛けて、Sharapova.は
 
"Does a hawk usually bite a swan?" she asked. "Jesus, I might have to cut those pleats away."(タカって白鳥もかむのかな? ドレスのプリーツをカットした方がいいかもね)とコメント。相変わらず、ユーモアのセンスも抜群という所。だけど、しょっちゅう絶叫する187cmの白鳥には、さすがのタカも攻撃できないだろう。

 さて僕の目には、この、Swan Dress.は、Sharapova.に似合ってないと思える。このドレスは世界中で話題になってて、メディアでは、“7年目の浮気”のマリリン・モンローのそれや、アカデミー賞の歴史にサンゼンと残る、あのBjork.のそれと較べられている。(写真参照) Bjorksswandresswillbeauctionedforcharity
 僕が思うに、この白鳥ドレスは、この2人のように小柄で、足が短い人に似合う。特にモンローの大根足は、このドレスによって素晴らしくセクシーに見える。 が、187センチの細身で足も超長い、Sharapova.が着ると、ちょっとマヌケだ。キリンがフリフリのフリル・ドレスを着けてるような感じ。そう思うのは僕だけだろうか? まだ、ハタチなんでキュートに行きたいのは分かるが、その驚異的なスパモ体型には、やはりクール・ビューティーな格好が1番映える
(この、Swan Dress.についての、Daily Mail.記事のリンク)

 試合の内容で、1番印象的だったのは、審判による雨天延長の取り止めだ。
 Sharapova.が杉山相手に、3つのマッチ・ポイントを握った所、そのゲームの最後の最後の局面で、雨が激しく降ってきたのだ。普通なら、すぐに、Rain Suspension.が掛かり、選手は退場し、コートにカヴァーが敷き詰められるところだ。この日の審判は、そこで審判台を離れた。が、会場の観客からの大ブーイングに引き戻されるように、また審判台に座り、試合を続行させた。それから、Sharapova.は、2つを逃しながらも、3つ目のマッチ・ポイントでストロークを決め、勝負を終えた。それで、延長を免れた観客は、大いに沸いた。
 この判断は、正しかったのか?
 僕の答えは、YES,だ。 確かに、選手、杉山の立場からすれば、この延長中止の判断は痛い。いくら、相手にマッチ・ポイントが3つある状況でも、休憩をはさめば流れは変わるかも知れない。何より、スポーツ選手にとって、良いコンディションでの勝負はとても大切な事だ。
 だが、観客にとって、延長の判断は、あまりに重い。あと、1ポイント取れば、勝者が決まるという段階で、延長に入るのはコクだ。少なくとも30分は待たねばならない。スポーツは1番に娯楽であり、見る側の要求にもこたえる必要がある。また、何よりも、もし杉山がこの3つのマッチ・ポイントをしのいでいれば、雨天延長になっていたのだ。
 ここで印象的なのが、ゲームが終わって、1番に審判に抗議したのは、勝者の、Sharapova.だった事だ。しかも、それは杉山の抗議よりも遥かに迫力があった。同じテニス選手として、杉山の悔しさが分かったのか、もしくは良いコンディションの下で正当な勝者となりたかったのか。
 
 また、その後にオモシロイことがあった。猛抗議しながらも、すぐにコロっと態度を変えた、Sharapova.は、いつものように観客に対して、キュートな“Wave and Kiss”のパフォーマンスを見せた。だが、それはもちろん大雨の中。彼女はすぐに、1刻も早くカヴァーで芝のコートをおおいたい係の人たちの殺気に気づき、急いで荷物をまとめて、コートを後にした。僕も、Wimbledon.を熱心に見始めて10年になるが、こんなにオモシロイ終わり方は他にない。現地のイギリス人司会者も、コートを走り出る、Sharapova.には大笑いしていた。
 それにしても、Swan Dress.をつけた、Sharapova.が水から逃げてゆくとは、全く皮肉な幕切れだ。ヒラヒラのフリルを揺らしながら走り去って行くその姿は、ホントに可笑しなものだった。■

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2007年6月28日 (木)

パリス・ヒルトンのトークショウを見て思うこと

【パリス、出所後初のTV・ショウ】Paris2_1
Paris Hilton.が,
CNNの名物トーク・ショウ“Larry King Live”にゲスト出演した。それは彼女にとって、2日前に刑務所から出て以来、初のTV・ショウでもある。というワケで、世界中で、特にアメリカではすごい視聴率を記録した事だろう。
 僕はここでそれへのレポートを書きたい。それと共に、このパリス事件の本質に迫り、ちょっとした教訓を書いてみたい。これが、1ポップ・アイコンに起こった、チン事件じゃなく、誰にでも起こりうる普遍的な悲劇である事を示してみたい。
 なので、Paris.へのカラカイや悪口が大好きな人への期待には全く応えないものです。そういう、Paris.叩きブログは他にいっぱいあるので、そっちに行けばいい。そういう書き手や読み手は、彼女の事を知らず、またこの事件について、自分の頭で何1つ考えず、ただメディアのバッシング・風潮に便乗したり、または古臭い常識論をかざしたりして、ストレスを発散してるに過ぎない。それは、どの国にも共通したスケープ・ゴート(イジメ)現象であり、ゴシップの根本的な目的もそこにある。

【キュートさとボケぶりは、健在!】
 と、いきなり話がズレたが、CNN.Larry King.の、Paris.に戻ろう。
彼女のルックスの第1印象は、ちょっとコロコロしてない?というものだ。1日、23時間の独房生活、23日半に渡る収監を経て、さぞやつれたことだろう。そんな僕の予想は、全くひっくり返された。顔とフワフワした服をつけた上半身だけの印象だが、彼女は釈放後のこの2日でケッコー太ったハズだ。
 だけど、考えれば自然なことだ。出所後、当然、Paris.はゴチソウにありつけたワケで、普段以上に食べたのは間違いない。このトークの中では、ムショでの食生活の話題もあり、ランチには、Mystery Meat!とナイスなニックネームで呼ばれる正体不明の肉などが出てきたそうだ。にしても、見た目は相変わらずキュートだし、口調からも、彼女の健康が損なわれてる感じは全く受けなかった。ファンの1人としてホッとさせられた。
 また、トークは全般的にシリアスなものだったが、Paris.は1度、彼女らしいボケぶりも披露した。服役中は、聖書を読んでたというので、Larry.が好きなPassage.(節)はあったかと聞いた。が、彼女はそれに笑って言葉を詰まらせ、Favorite Passage.はなかったわ、と正直なコメントを返した。

【何事も、神による何かの理由で起こる。/God makes Everything happen for a Reason.
 Larry King.のトーク・ショウは、ヴァラエティーに溢れていた。1連の事件の説明、判決に対する思い、入所手続きから服役中の具体的な言及、その最中に書いた日記の朗読。出所する時の気持ち。同じようなトラブルに陥ってる友達セレブ、Nicole Richie.や、Britney.について。そして、これからのParis.自身について。

 印象的だったコメントを拾うと、まずParis.は、禁固・23日間の判決に対して依然、不服があることを明言した。彼女は、わずか血中0.8mm、つまりシャンパン1杯分の酒気帯びで逮捕された。そして、免停が解けたという弁護士からの言葉を受けて、再び運転して捕まった。なので、サイアクでも社会奉仕活動で、済まされるような違法行為だと思っていた。
 自分は今でも、絶対に犯罪者じゃないと思ってる。と、そんな事を口にした。
 だが、それと共に、Paris.は、このバツをちゃんと受け入れたとも言った。何事も、神による何かの理由の元で起こるもの。だから、この試練にも意味があり、それを乗り越えることで、より強く成熟した大人になれると思った。彼女はそう言った。
 そして、Paris.はいつか元囚人たちの社会復帰を支援する施設を作りたいとも言った。というのも、服役中、ムショ仲間との話から、彼女たちの多くが出所しても帰る場所や仕事がなく、またムショに逆戻りという悪循環を繰り返してることを知ったからだ。
 なので、Paris.は出所する日、自分には温かい家族やリッチな暮らしが待っていることに対し、罪悪感を覚えたという。

2007062800000013oricentview000 【私はパーティーガールじゃない!】
 このLarry King.の視聴者の多くは、そういうコメントを受けて、「どうしたのパリス、急にいい子になったな。」とか、「ムショ生活で、1気に成長したな。」などと思ったことだろう。だが、Paris.は元々、いい子だし、精神的に成熟している。このトークで自ら言ったように、酒好きじゃなくドラッグは1度もやった事ないし、ただ、パーティーで友達と楽しむのが好きなだけだ。つまり、ダーティーなパーティーガールという世間のイメージは、誤解だ。また、Paris.はすでに、乳がんの治療施設の基金造りなど、社会奉仕活動にも熱心だ
 Larry.とのトークで、世間の人たちの自分への最大の誤解は何かと聞かれると、甘やかされたナマケ者の金持ち娘だと思われてることと返した。「私は、親からお金をもらわずに、自立して、毎日働いてる。New York Times.のベストセラーにもなった本も出版したし、歌も出して、映画にも出ている。」
 考えれば、それはすごい事だ。億万長者の家に生まれて、Paris Hilton.ほど多忙な仕事に追い回されてる20代の女性が他にいるだろうか? ほとんどのコが、何の野心も持たずに、ぶらぶら過ごしている事だろう。

【Perception.(イメージ)のズレ】
 要するに、Paris Hilton.の実像と、世間の抱く彼女のイメージに大きなギャップがあるというワケだ。 そして、このパリス事件に関する本質もそこにある。
 僕はそれを、このLarry King Live.の後のAC.360を見てる最中に知らされた。CNNのNO-1.アンカー、Anderson Cooper.がその自身の番組の中で、Larry.に、Paris.へのインタヴューがどうだったかを聞いた。すると、Larry.は、Paris.は好きだが、世間のParis.現象は嫌いだと答えた。Paris.は世間の抱く彼女へのPerception(イメージ)とは、違う。それに、Anderson.は、なぜ、その2つのギャップがこんなに大きくなってしまったのか?と言うと、Larry.はParis.がそれをもっと早く止めていれば、こんな騒ぎにはならなかっただろうと言った。正確な言葉ではないが、そういう内容の会話で、さすがはCNNの2大看板の2人だけはあるものだった。まさに、そこに、この事件で、Paris.が犯した過ちの本質がある。

 Paris.はずっと、自分自身を偽ってきた。そういった行為は、多くのトラブルやバツを招くものだ。
 彼女のダーティー・リッチというイメージが、今回の事件で大バッシングの世論や判事が厳罰を下したことに大きく影響したのは間違いない。もし、Paris.が、妹のNicky.のように品行方正なイメージなら、裁判で無罪を勝ち取っていただろう。
 だが、これまでのParis.にとって、そのイメージはタレント活動の核であり、彼女を1躍有名にしたTV番組、Simple Life.もまた世間の抱くイメージを利用したものだ。つまり、Paris.はこれまで、自分とは別人のイメージを作り上げ、それで富と名声を得てきた。それが、彼女のすべてじゃないが、それは彼女の生き方の大部分を占めている。彼女は何事も神の理由の元で起こると言ったが、もしこの事件もそうなら、このバツが下された理由もここにあるだろう。

Parishiltonoutofprision 【パリスに見る人の原罪

 抽象的な話になるが、人は誰もが、自分の自己イメージと、回りの人が見る自己イメージで出来ている。そして、この2つのイメージを融合してゆく事で、人間性が洗練されたり、よりよい人生を送れるようになれたりする。
 それに対し、自分の自己イメージに固執すれば、いずれバツが下る。それは実力以上に自分を評価してる場合であり、それには当然、回りの評価が伴わず、いずれその人はヤケを起こして、泥沼の状況を生み出す。僕もよく経験したが、多くの人もこの負のサイクルにハマったことがあるだろう。
 Paris.の場合はそれとは逆で、他人が抱く、バカな自己イメージに執着していたのだ。どっちにしても、真の自分を偽っている事には変わりない。
 そう思うと、人の原罪とは、まず自分で自分自身をだます事なんだなと気づかされる。
 だけど、話が思いっきり、哲学的になってるなぁ。このパリス事件に関して、ここまで人について考える変人は、僕以外にいるだろうか?まったく、Crazy.だ。
 が、まぁ、ここまで読んでくれた人には、このパリス事件が、人生の大きな教訓を与えるものだった事を分かってくれたかと思う。これは、1時代のポップ・アイコンが巻き起こしたチン・社会現象じゃなく、どこの誰にでも起こる普遍的な悲劇なのだ。
 ParisはLarry King Live.の終盤にこう言った。「これからは世間の,Role Model(模範)になりたい」そのためにはまず、誰よりも、自分自身をあざむかない事が最大のポイントになるだろう。■

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