日記・コラム・つぶやき

2007年8月 9日 (木)

ビリーがもたらす明るい未来。

  ビリーズ・ブート・キャンプ。今、日本では誰もが1度は耳にしたことがあるだろう。説明無用だろうが、それは通販で買えるダイエットのためのDVソフトだ。子供たちが飛行機ブンブンブンと言ってる、あの水平にした両腕をクルクル回す運動なら、誰もがちょっとは見たりやったりしたことがあるだろう。
 ビリーズブートキャンプ。今回は、それがどれだけ日本人やその文化全般にとってワンダホーなものかについて書きたい。Billy_blanks_navy
 【ビリーのWIKI的紹介】
 僕も最初は、CS-TVCMで、この通販CMを見るたびに、ウットーしいなぁと思っていた。が、ビリーが来日して、幾つかのTV番組で彼を見るうちに好感がわいてきた。特に、この月曜にスマスマで、ビリーが香取クンとコント共演したのはケッサクだった。
その主役であるコーチのビリーとは、アメリカ・WIKIで調べるととても多才な人だ。アメリカでも1番は、ダイエット・エクササイズの人として有名だが、Tae Boの創始者と見られてる。98年くらいにブレイクしてて、バスケのシャキール・オニールなどのセレブ信奉者も多い。過去には7回もカラテの全米チャンピオンになってて、役者としてハリウッド映画にも出てる。
 日本では、もちろんビリーズ・ブート・キャンプの鬼隊長として有名だが、実際は兵役経験がなく、米軍のインストラクターを長年務めていた。また、英語版WIKIでは、早くもここ最近の日本での大ブレイクも取り上げられてて、それにリンクして日本でのビリー・ブームを伝えるUSA Todayの映像も見れる。見たい方はクリック。その中でビリーは、成田空港で大勢のファンの歓迎を受けた事に対し、ビートルズやマイケル・ジャクソンになったみたいだったと言ってる。その映像では、ビリーもビートルズみたいにハッピ姿で現れてる。
【人は、何かに熱中したい】
  メーカーによると、ビリーズ・ブート・キャンプのDVセット販売数は100万本を突破し、総売り上げは100億円を超えたという。
 ここまで来ると、ただのダイエット・ビズではなく、カンペキな社会現象だ。昨日、近所のAEONに行くと、エスカレーターで、例の飛行機ブンブンをやってる子供たちを見かけたりもした。
 まず、軍隊式トレーニングをダイエットに持ってくるアイデアがいい。何でも縦割りの日本ではありえない発想の飛躍だ。も1つは、「ダイエットしたいなら、運動しろ!」というキャッチコピーだ。シンプルでクール。そして意味深いメッセージでもある。
 そこで思うのは、購買層は皆んなダイエット目的なのか?という事だ。少なくともその1割は、エクササイズ好きな人か、好奇心で始めようと思った人たちだろう。ビリーの2度の来日を受け、この真夏の日本ではさらにそんな、ユカイ購買層が増えることだろう。

 例の熱血漢、松岡修造が、TBSの「情熱大陸」に出た時にこんな事を言ってた。「ファンレターの中に、とにかくシューゾーさんに熱血指導されたいっていうものが多いんですよ。でも、僕はテニスを教えるために、子供たちに指導してるワケでね。目的もなく、人に熱血指導なんか出来ませんよ。」 そこには、このビリー・ブームとも重なるものがある。
 【夢を与えるビリー】
人の中には、何かに、ただ熱狂的に従いたいという欲求がある。その対象は何でもいい。そしてその多くは、大きな情熱を持ちながら、夢を見失ってる人たちじゃないだろうか?回りに流されて、夢を見つけられずにいる人。または、ザセツを繰り返して、夢を見れなくなった人。僕自身、ビリーにひかれるのも、そんな心理があるからだと思える。
 ビリーズ・ブート・キャンプは、そんな人たちに夢や熱狂の代用品を与える。けれど、それは同時に、本物の夢に向かうキッカケも与えるのだ。
 ビリーの7日間・集中エクササイズを経験すれば、多くの人が過食を繰り返すことはないだろう。そして、自分が本当に熱中したいことに意識が向くんじゃないだろうか。ビリー自身もエクササイズの途中で、「自分の内なる力を信じろ」と繰り返し言ってる。
 そういう啓発的な面もまた、このビリーズ・ブームの大きな1因に違いない。
【地球に優しいビリーズ・ブート・キャンプ】2005_march_of_the_penguins_012_2
  また、これは文化的にも大きな貢献だ。過食とダイエット産業とは、先進国家の持つ最悪のダークサイドだ。まず、過食産業は貧困地域の飢えを増長させる。その背景には、人の欲をムリヤリ刺激する、過剰生産、過剰広告がある。つまり、過食現象とは、人がキャピタリズムの家畜になってることの表れだ。さらにダイエット産業は、そんな人たちを食い物にする。「楽してやせる」をキーワードにして、薬品や食事療法、電化製品を次々に売り出す。つまり、過食産業とタッグを組んで過剰消費の悪循環を生み、引いては地球環境をハカイしている。
 そんな中にあって、ビリーズ・ブート・キャンプは、すごい。まさに救世主だ。
 もし、これが世界中に浸透すればダイエットという言葉は消え去り、誰もがタンレンや精神性の向上のためにエクササイズをする時代になるだろう。
 だけど、僕自身はDVセットまで買って、励むことはないなぁ。だって、1セットで1万5千円だよ……それが、100万セットも売れるなんて、日本はマジにすごい。僕の場合は、ただ、ジョギングの最中に、有名な幾つかのワザをやってみるくらいだろう。
 それにしても、何か久々に日本に生まれた明るいブーム。日々のメディアの中、大勢の生徒を前に飛行機ブンブンするビリーを見ただけでも、元気にさせられるね。この夏、皆んなも、ビリーと1緒に汗を流して、ヴィクトリー!を体感しよう。■

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2007年8月 5日 (日)

世界陸上、北欧の美しきケモノたちが丸亀にやって来る。

For_blog 【丸亀とカロリナ】
 四国は香川にある坂出市。僕は今、そこで暮らしている。瀬戸大橋がある町といえばピンとくる人がいるかも知れない。華やかでもなく、寂れてもいない。時と共にゆったりと変化してる、ありふれた地方街だ。
 が、そんな坂出の隣町、丸亀に後10日ほどで、衝撃が走る(笑)。なぜなら、Carolina Kluft.(カロリナ・クリュフト)がやって来るからだ。と言っても、日本では誰それ?という人がほとんどだろう。僕にしても、今日その名前を覚えたばかりだ。
 クリュフトは世界的なアスリートで、この5年ほど、7種競技種目で世界トップの座に君臨してる女王だ。スウェーデン出身の24歳で、Lookin Good!でもあるので、モデルの仕事もしてる。なぜ、そんな人がこの夏、はるばる丸亀にやってくるんだろう。と、こう書けば、ピンとくる人がいるかも知れない。そう、それは世界陸上・大阪があるからだ。彼女のいるスウェーデン・ナショナル・チームは、その直前合宿地に香川の丸亀スタジアムを選んだ。スウェーデンの他にもノルウェー、フィンランド、デンマークと北欧4カ国がそろってやって来る。
【世界に羽ばたく、うどんの国】
 今日の朝日新聞に、世界陸上の合宿地に選ばれた日本の各市が掲載されていた(下図参照)。Lastscan_2
 12の市が世界各国のアスリートを受け入れる予定だが、国の数は香川が最多だ。記事によると、去年、大阪視察にやって来た各国代表団に、香川が猛アピールしたからだそうだ。香川は最近、地域PR活動をさかんにやってる。しかもそれは今回のように、海外に向けたものだ。香川に属する直島では、この数年、映画007のロケ地になるのを目指し、制作会社に積極的にアプローチし続けている。この北欧チームの招致はまた、北京オリンピックの合宿地に選ばれるための布石でもある。もし、そうなれば海外からの観光客も増えて街は、活性化することだろう。
 香川、がんばってるよ。特に丸亀は最近、市街地が空洞化してて、フジ・テレビの中野美奈子アナの出身地という事ぐらいしか自慢がなくなってる。とにかく、イナカほど、こういう画期的なチャレンジが県民に誇りを与えるもので、そういう共通意識が地域発展の核になるものだろう。
【カロリーナについてのWIKI的紹介】
 さて、それはともかく、カロリーナ。 僕は彼女のことをアテネ・オリンピックで金取ったくらいからボンヤリ知っていた。その後、CNNのスポーツニュースで何度か特集をやってるのを見て、カワイイんで録画もしていた。それくらいの興味であり、名前も顔も覚えてなかった。つまり、北欧4カ国のアスリートたちが隣町にやって来るというニュースを知って、そういえばキュートなコがいたなと思い出したワケだ。そうして今日、ネットで色々調べてくうちに1気にファンになった。
 さて、このCarolina Kluftについて、Wikipediaを元にもうちょっと説明しよう。彼女の専門競技は、Heptathlon.と言われる7種競技だ。とにかく、飛んだり投げたり走ったりという超人的な種目である。あまり、注目されることはないが、その多様性から、チャンピオンは、アスリートのキングとかクイーンとかと言われる。カロリーナもまた、Queen of Athlete.という異名を持ってる。
 実績を上げると、オリンピックでは04年アテネで金。 世界陸上(World Championship)では、パリ、ヘルシンキで2回、金。今回の大阪・世界陸上で、3連覇を狙う。ヨーロッパ大会でも、2つの金。2002年からずっと、IAAF(国際陸連)によって、7種競技、世界トップ選手にランクづけられてて、現役陸上選手として、それは誰よりも長い記録だという。
  ローレウスが毎年主催する、世界のスポーツマン・アワードがあり、今年はテニスのロジャー・フェデラーと、棒高跳びのイシンバエワが選ばれたことは有名だ。そして、カロリーナも、これに3年連続、最優秀女子スポーツ選手の候補に挙がっている。Kluft72

【セレブで、人道的な彼女】

 若くてキュートで親しみやすいキャラなので、ポップスターなみの人気もあるそうだ。靴メーカー、ReebokCMにもサッカーのティエリ・アンリなどと共に起用されている。プライヴェートを言えば、1緒に暮らしてる、走り高跳び選手のボーイ・フレンドがいる(NO-----)。また、大学に通ってて、Peace and Development.(平和と発展)を専攻。社会活動も熱心で、アフリカの子供を支援するグループのスポンサーにもなってる。

ま、とにかく人気実力ともに世界トップクラスのスポーツマンであり、かつ人としても洗練されてるワケだ。YouTube.で、彼女のインタビューが見れるが(見たい方はこちら、Carolina Kluft.)、彼女はそこで「子供の模範になれるようなアスリートでありたい」といったコメントをしてる。また、CNNの特集では、「世界記録よりも、試合を楽しむことが大切。私はスポーツが好きで競技が好きだ。楽しむことが私のモチベーション。」みたいなコメントをしてる。そこからは、誠実で純粋な素顔が伝わり。とにかく、僕はネット・サーフィンを続けるうちに、そんな彼女のトリコになった。 もちろん、キュートだからでもあるけどね。
【北欧の美しきケモノたち

 もちろん丸亀スタジアムにはクリュフト以外にも、メダル候補のアスリートがやって来る。男子3段飛びのオルソンや日本では空飛ぶスーパーモデルの名で有名なハイ・ジャンプのベリークイストなどだ。けれど、北欧は男も女もキレーな人ばかりなんで、有名無名に関わらず、見るだけで楽しませてくれることだろう。
 アメリカのハリウッド女優でも、元を見れば北欧の人が多い。Uma Thurman. Kirsten Dunst.今、大人気のScarlett Johansson.などもそうだ。北欧人には、神秘的なベールのようなもんが共通してあって、ウットリさせるよねぇ。だけど、陸上選手の場合、スタジアムに入ると、野性の動物のようにファイティング・スピリットを見せる。クリュフトでさえそうで、そのギャップもおもしろいところ。
 さて、そんな美しき獣たちは、この8月の14日にやって来るそうだが、香川合宿オフィシャル・ブログを見ても(見たい方はクリック)、具体的なスケジュールの記載はない。まだ、決まってないか、非公式にして混乱を避けようとしてるのか........
【トップ・アスリートに対するマナー】
 香川以外にも11ヶ所の市に、世界中からアスリートがやって来るワケで、これからの季節、日本中で大勢の人がその練習や交流イヴェントを見に、その合宿地に駆けつけることだろう。僕もカロリーナとツーショット写真を撮るというアホな夢を抱いて、必ずスタジアムに行くだろう。
 だけど、皆んな、そこでは選手を思って、最低限のマナーは守ろう。1番意識すべきことは、多くの選手たちが1生を左右するような真剣勝負を前にしてるという事だ。アスリートにとって、世界陸上はオリンピックに次ぐ大大会だ。選手たちは年初からこの日に照準を合わせてトレーニングをし、この2-3ヶ月は本番でベストを引き出すため、色んな国の大会を転戦し、かなり疲れている。
 なので、アスリートにストレスを与えるようなことをしてはならない。例えば、競技場の見学中、選手に近い場所でムービーや写真を撮ったり、ケータイの着信を鳴らしたりする。街中で、見かけると、すぐに詰め寄ってサインや写真をねだる。そういうのは、まさにサイアクだ。
 とにかく、世界のアスリートだという敬意を持って、いつも1定の距離を置くべきだ。特に有名なアスリートはどの国の人でも英語が話せるので、サインや写真がほしいなら、その前に必ず断りの言葉をかければいい。ダメと言われても、「Good Luck for Osaka!」などと大声を掛ければ、笑ってくれていい思い出になるだろう。
 とはいえ、距離を置きすぎてもダメで、選手たちには日本人や観光への好奇心もあるハズだ。彼らのそういうオープンになった空気を感じれば、積極的に接するべきだ。僕は丸亀スタジアムで、カロリーナがそんな空気になるのを、今か今かとブキミに待ち続けることだろう。他の11の市の近くに住む皆んなも、またとないチャンスなんで、どんどん応援しに行ってみればどうだろうか?

 
 これは、YouTube ユーザーが作った、カロリーナ・クリュフトの写真スライドショーなヴィデオです。
 彼女の魅力と共に、7種競技(Heptathlon)の魅力も出てて、良いです。
 


 P.S.

 ところで、僕にはスタジアムに1緒に見物に行ってくれる友達が不足している。1日だけつき合ってくれる人がいるが、僕はもうちょっと行きたい。
 なので、誰か1日、1緒に僕と見物してくれないでしょうか?
 求めてるのは気軽な見物仲間です。
 お互いの年とか職業とか出身地とかのリレキを交わすことなく、ただ純粋に「丸亀で北欧のアスリートが見たい」という意識でつながれる人です。男女問わず、人数問わず、香川県内外問わず、オバサンでも女子高生でも子供でもお年寄りでも、誰でもいいです。
 そこのキミ、もし興味があるなら、どうかコメントを。

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2007年7月29日 (日)

さようなら、オシム。

  AFC.アジア・カップ、2007-Vietnam. 7月最後の土曜の夜、その日韓戦を見ながら、これを書いている。もし、これが決勝の舞台ならBlogなど書きながらユウチョーに見れなかっただろう。何しろそうだったら、ちょうど10年前、Wカップ出場をかけたソウルでの試合以来となる、超真剣モードの日韓戦になってたからだ。けれど、このアジア・カップの日韓戦のブタイは、3位決定戦だ。にしても、日韓のライヴァル意識はまだ健在で、両チームともモチベーションは決勝並みの高さだ。今もTVの向こうでは壮絶なつぶしあいが続いてる。
 とはいえ、3位決定戦に変わりはない。選手のパッションがいかに大きくとも、見る側の空しさは埋められない。Ac07osimappointment004
【2試合で、オシムにはウンザリ】
 何にしても、この試合の結果を待たず、サッカー日本代表チームが次にやるべき事は1つ。
 それは、オシム監督をクビにするという事だ。もちろん僕も、日本のサッカー界ではこの展開が現実的じゃないことは分かってる。「就任1年で、それは早い」「オシム・サッカーが成熟してから判断すべきだ」 日本のファンやサッカー協会やメディアの多数派は、こんな反応を見せるだろう。
 僕は、オシム・サッカーをこのアジア・カップで初めてじっくりと見てみた。Q.F.と、S.F. トーナメントのこの2試合だけだが、僕にはそれで充分だった。オシムにウンザリするには、充分な2試合だった。それを通して、2年後のWカップ予選における日本代表がイメージすることも出来た。そしてそれは、悲惨な姿だった。
【トゥルシエよりも劣るオシム】
 オシムを1言で表せば、ジコチューの独裁者型カントクだ。自分を過信してて、どのゲームでもチームの主役は選手じゃなくて、自らの戦略というタイプ。と、書けば、前々回の代表監督、トゥルシエを思い出す方もいるだろう。彼もまたピッチの選手のアイデアや個人技は、自らのプランのおまけといった考え方を持っていた。この2人はその点で酷似している。そして、それはどんな世界にも通じるダメ・リーダーの典型だ。
 また、オシムの目指す、日本人の利点を生かした、“超高速、連係サッカー”。これは、すでに5年前、トゥルシエが達成したことでもある。そして、韓日Wカップ、トルコ戦の敗退で、日本のサッカーファンはその戦術の限界を思い知らされたのだ。
 要するに、このアジア・カップ-07におけるオシムは、トゥルシエの過ちをもう1度繰り返そうとしてるようにしか見えない。このアジア・カップに見る日本代表もトゥルシエ時代と変わらず、ゲームとボールは支配するが、決定力がないために試合を取りこぼす同じ悪循環にハマっている。
 いや、オシムに較べれば、まだトゥルシエの方がマシだった。彼はガンコな哲学を持ちながら、選手起用に関しては柔軟で、積極的に若手を試し、またチーム内で海外組の選手を尊重した。自らのプランを狂わしかねない個人技にすぐれた彼らをチームに歓迎したのだ。
 1方、オシムは、自分の戦術に従順な国内組のコツブ選手中心のチーム構成にしてる。カンペキな独裁体制だ。このアジア・カップのメンバーでそれを象徴してるのが、この3人。エンドウ、コマノ、カジだ。いったい、彼らはトーナメントの2試合で何度、マヌケなシュートを打ったり、精度のせの字もないクロス・ボールを上げたりしただろう。にもかかわらず、オシムは3位決定戦の日韓戦でも、彼らを先発起用している。そこにもまた、彼の無反省な過信ぶりが見れる。Pic45722
【采配なき日本の監督達】
 試合中の采配という点でも、オシムはひどい。これはトゥルシエ、また前監督のジーコの2人にも共通してるが、彼らの辞書に采配という文字はない。つまり、選手交替の判断が異常にトロく、かつセオリー通りで保守的なのだ。オシムの場合、このアジア・カップでのオーストラリア戦にそれがハッキリ出ている。後半、1-1になった後、オージーのDFが高原へのファウルで退場になった。けれど、その1人多い状況でも、オシムはまったく動かなかった。ただ、時の流れと共に、疲れた選手と同じポジションの選手を入れ替えただけだ。つまり、それはただの燃料補給であり、采配じゃない。ピッチの選手からすれば、監督不在で闘ってるようなもんだ。優れた監督なら、試合の流れと共に、当初のプランをひっくり返すような臨機応変性を見せる。それには、勇敢さや独創性が必要だ。1方、この3人の監督にあるのは戦前のプランだけで、どんな試合になってもそれを変えられない。
【不完全燃焼な過去2度のWカップの原因】
 とにかくオシムには、このアジア・カップ-07だけで充分ウンザリさせられた。日本と同じく、この大会で決勝に残れなかった実力国、オーストラリア、イラン、そして韓国の3国はすでに監督の解任を発表している。世界のサッカー界では、それが常識だ。大きな大会で、悪い試合内容で、実力以下の結果が出れば、カントクは必然的にクビになる。けれど、非常識な日本ではそうならない。
 過去2大会のWカップにおける日本の最大の敗因は何だっただろうか?
 それはカントクだ。少なくとも僕はそう確信している。無能なカントクのクビを切れず、Wカップまで延命させた結果、両大会ともに不完全燃焼な敗退をすることになった。
 5年前、韓日Wカップで、日本が負けたTurkey戦。その1番の敗因は、トゥルシエの実験的プランだ。このチームはオレのもんだと言わんばかりに、それまで勝ち続けてたチームをいじくり回し、試合中にはそれまでのチームの得点元だったイナモトを途中交替させた。去年のWカップでの予選敗退もまた、ジーコが引き金になった。彼にはそもそも采配どころかゲーム前の戦略すらなく、あるのは永久に変わらない固定レギュラーとお約束のサッカー・セオリーだけだ。予選のオージー戦では、後半次々と攻撃プランをくり出す名匠ヒディンクに対し、ジーコはただベンチの前をウロチョロしてただけだ。
【浪費させられた黄金世代】
 今回、このアジア・カップ後もオシム監督を長々と延命させれば、同じ悲劇を繰り返すだろう。それはWカップのブタイじゃなく、その予選のブタイであってもフシギじゃない。
 サッカー日本代表チームは黄金世代のピークをすぎた。すでに中田ヒデはいない。日本では50年に1人とも言える天才が、すでに早すぎる引退をしている。 前の2人のカントクが延命できたのは、この黄金世代の活躍によって結果が出てたからだ。今も同じだが、当時の日本のファンやメディアは、カントクを試合内容じゃなく結果だけで判断してた。なので、トゥルシエがシドニー・オリンピック、QFのアメリカ戦、この敗戦で無采配さをさらけ出しても、予選を突破したというだけで彼を許した。ジーコの場合は、前回のアジア・カップ全般で無能さをさらけ出しても、優勝した事でそれに目をつぶった。今振り返れば、この黄金世代の日本代表チームを、この2人のカントク初心者に預けたことは、トホ----もなくもったいないことだった。Jfa20060204zico
【バッジオが言う、冷めたスープとは?】 
 オシムの次に必要な監督の理想。それは確固とした哲学とプランを持ち、かつ試合中にそれをひっくり返すほどの臨機応変なアイデアを出し、勇敢にトライできる人。そして、自分の戦略と同じくらい、ピッチの選手の個性と判断を尊重できる人。叶いがたい理想論だが、とにかくそういう人が欲しい。
 さようなら、オシム。あなたが、もしこのアジア・カップ後も日本代表監督であり続けても、僕には関係ない。あなたは今、僕の心から消えようとしている。さようなら、オシム。
 イタリアのサッカー伝説、ロベルト・バッジオが自伝の中でこんな皮肉を言ってる。彼はビッグ・クラブの監督に返り咲いた元大監督のリッピに対し、こんなコメントをする。
 「冷めたスープを温めなおしても、元の味には戻らない。だけど、イタリア人には、冷めたスープを好きな人が多いんだよ」 オシムよ。あなたもこのバッジオが言うところの冷めたスープにすぎなかった。そして、不幸にも日本人もまた、冷めたスープを温めなおすのが好きな民族なのだ。■
 PS
 といった具合に長々とブログしてる間に、アジア・カップ-07の3位決定戦は終わった。PK戦の末に、韓国が勝利した。内容は、PKの勝ち負けを逆にすれば、QFのオーストラリア戦そっくりのヒドイものだった。過去の2監督と同じく、試合中にプラン変更の出来ないオシムの無能さがあらためて証明されたワケだ。
 その後、日テレのうるぐすを見ると、元代表のタケダが出てて、オシム解任世論にあの手この手で反論してた。その姿は、怒りやアキレを通り越して、哀れみを誘うものだった。彼もまぁよくここまで日本サッカー界の腐りきったシガラミにとらわれたもんだ。彼の姿は、今回のアジア・カップを受けた日本サッカー協会とメディアの象徴的な態度でもあるだろう。そして、彼らはまたあの老いた大男、あの冷めたスープをもう1度温めなおそうとする事だろう。■

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2007年7月28日 (土)

“LIVE EARTH” ウェブ体験記。

【RIZE, the ONE for me】

前回Blog.に引き続き、今回も“Live Earth”について。ライヴ・アースとは、07年、7月7日に全世界6カ国、9都市で行われたライヴ・イヴェントで、気候変動の防止をテーマにしていた。
 この1週間ほど、MSN.のフリー・ウェブ・サイトで、(見たい方はクリック)“Live Earthのステージをちょこちょこチェックしていた。僕は、その100人以上の参加アーティストの約1/3、有名所のライヴだけを見てみた。
 その中で、僕的、No-1.は東京のRIZE.(ライズ)だった。だけど、別に日本びいきしてるワケじゃない。何より、RIZE.のライヴは、このLive Earth.のステージで見るのが初めての事だった。Ny_kanye_getty_400
【世界のパフォーマンス】
 もちろんRIZE以外にも、すっばらしいパフォーマンスはいっぱいあった。
 100m、9秒台くらいの全力疾走の中で1つも息切れせずにラップするKanye West.Touch the Sky.)。
 野獣のようにギターを弾きながら、Mother Fucker!と叫ぶMadonna.Ray of Light.)。
 絶対聴いたことないようなフリーキー・アレンジで酔っ払いロックするDave Mathews Band.Too Much)。
 動物のオブジェや着ぐるみの子供たちによる、ブラジルらしいイノセンスなステージで唄うXUNAお姉さん(Tesoura Sem Fim)。
 マグニチュード7くらいの震度でストリップティーズな(オッパイ見せて欲しかった)ベリーダンスを見せるShakira.Hips don’t Lie.
 黄金タイツの足をきらめかせ、Janis Joplin.のようなハスキークールな声で唄う、久々に現れた本格派ギターガール・KT Tunstall.Black Horse and the Cherry Tree.
 ギター好きなかせなスゴテクをひろうしまくる、John Mayer.Belief エド・サリヴァン顔負けの大迫力ロックバンド紹介をこなしたLive Earth.のドン、Al Gore.。(紹介したBon Jovi.を完全に食ってる)
 Aretha Franklin.BONOでも開けられそうにない扉を開いて、ロック最高潮次元の声でうたいまくる、Kelly Clarkson.Since U been Gone. 自分の目で確かめたい方は、パッセージ中の曲名をクリックして、MSNで無料ライヴ視聴して下さい。Ny_kellyclarkson_ap_400
 【サイテーな世界の1般評】
 僕にとって、RIZE.のライヴは、こんなバケモノ天才軍団の上を行くものだった。ちなみに、2位はKanye. 3位は、Kelly.だ。
 また、MSNのウェブでは、ファンによるベスト・ライヴ投票があり、ボン・ジョヴィ、ポリス、スマパンなどがベスト5に入ってた。彼らに共通してるのは、最近再結成された元ビッグ・バンドだ。サッカー選手のロベルト・バッジオがよく言ってるイタリアのことわざがある。“冷めたスープを温めなおしても、元の味には戻らない”この3バンドはまさにそれ。僕には、彼らの叫びは、ただ空しかっただけだ。
 Alicia Keys.も新聞雑誌でよく取り上げられてたが、明らかに過大評価だ。テンションだけは異様に高かったが、それが彼女の本質的な無個性さをさらけ出す結果になっていた。

【ロックとチャリティーは矛盾しない】

 RIZE.. 彼らが最高だったワケは2つある。1つ目は、Live Earth.のテーマをパフォーマンスにうまく融合していたこと。2つ目は、観客との圧倒的な1体感を作り出したこと。
 1つ目は、“HEIWA.”のパフォーマンスを見れば1発で分かる。ヴォーカルJESSE.(ジェシー)は、そこで平和のメッセージを伝える。ただ、口にすれば超恥ずかしいその文句も、彼のラップにかかれば超クールなものになる。このLive Earth.の中心地だった、London.NY.のステージを見ると、このRIZEのようなAttitude.MadonnaHey You.をのぞけば、存在しなかった。
 アーティストの核はエゴで、政治アクティヴィズムの核は博愛。なので、チャリティーライヴでも、アーティストが博愛を訴えればそれはウソになる。大物アーティストには共通してそんな思いがあったハズだ。なので、彼らのステージでは、メッセージはディカプリオなどのセレブが担当する構成だった。
 しかしだ。RIZEのステージを見れば、それがアーティストの逃げだという事が分かる。RIZEがそれに思いっきり成功してるからだ。結局、大物アーティストたちは、自分のライヴにLive Earth色を入れることのリスクを避けたに過ぎない。RIZEはそのリスクを克服している。
 その成功の最大のポイントは、JESSE.が常に怒ってるからだ。彼はマジギレしながら、平和や博愛を唄っている。そのアグレッシヴなAttitudeがチャリティーライヴに伴う偽善性を吹き飛ばしている。また、JESSEが時折見せる優しさや誠実さも、その怒りがあるからこそ真実味を帯びて伝わる。Jap_rize1_getty_400_1
【大和魂!】
 2つ目の観客との1体感は、ラストの“STAND UP!”を見れば1発で分かる。JESSEはとちゅう、ステージから飛び降りて客席をへだてる柵に上り、怒鳴り声で唄う。「生きてんなら、息してんなら、行動しろ!」そう叫んだ後、彼は死んだように後ろに引っくり返る。世界中であったLive Earthのステージで、ここまでアーティストが観客に魂を捧げた瞬間があっただろうか? 100m、9秒台の全力疾走ラップを見せたKanye WestでもこのJESSEの姿には、頭を下げるかも知れない。
【RIZE EARTH with LIVE EARTH】
 まぁ、とにかくJESSEの才能によって、こうしたことが成し遂げられた。僕はこのLive Earthで初めて彼の歌をじっくり聴いたが、圧倒的な才能だ。Green Dayのようなメロディアス・パンクな唄い方、またデス・ラップな爆発ヴォイス、またはギャングスタ・ラップ。彼はそれらをうまく使い分けてて、まったく飽きさせない。
 ただ、大きな穴としてポップセンスやフェミニズムの欠如がある。つまり、いかにも日本男児印のハード・コア・バンドなのだ。そこに、Dragon Ash.のような人気までは得られない理由があるだろう。けれど、JESSEボディーの妥協なき過剰Tattooを見ると、彼ら自身がそれを望んでないことがハッキリ分かる。
 
 とにかく、僕にとってこのロックの歴史的イヴェントは、“RIZE Earth”と呼べるものだった。
 このLive Earth。世界的には、ボン・ジョヴィの復活がメイン・イヴェントだった。けれど、この50前後になってまでチワワみたいな顔したオッサンがいったい何をやったというんだろう。地球のためにRIZEが千の風車を建てたとしたら、ボン・ジョヴィがやったことは、タンポポの花を1つ植えたくらいのものだ。■

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2007年7月21日 (土)

マドンナとジョン・レノンに見る世界の変え方。

  07年、77日。
 この7が3つつく日に、世界では何があったか、皆さんご存知でしょうか?
 答えは、“Live Earth.
 Mr.G.W.Global Warming<地球温暖化>)こと、アル・ゴアがオーガナイザーを務め、“Climate Change.(気候変動)”をテーマに、世界6大陸、9都市を舞台にして行われた.ライブ・コンサートの事だ。参加アーティストは100人を上回り、イギリスでは、Madonnaに、レッチリ。ドイツではShakira。南アフリカでは、Joss Stone. NYでは、Kanye West.そして、京都の東寺では再結成されたYMO.が、コンサートをした。それは、世界10億人以上の人が、何らかのメディアを通じてライブ視聴したと言われ、ネットの動画ストリームでは900万の利用者が出たそうだ。MSNのサイトでは、まだ無料視聴をやってて、見たい方はこちら

 要するに、Live Earthとはその名の通り、地球イヴェントだった。しかしだ。僕がそれを知ったのは、それから1週間以上が過ぎてのことだった。確かに、僕がその間、世界のニュースにアクセスしてなかったのも悪い。だけど、ちゃんとしたメディアがある国なら普通、こんなニュースは大々的に取り上げるワケで、誰もが自然にそれを知らされるハズだ。
 だけど、日本は数少ない普通じゃない国の1つだ。ライブ・アースに対する日本の主要メディアの反応はよく知らないが、どこも大きく取り上げなかったのは目に見えている。2年前のこれまた地球イヴェントな“Live-8.”の時もそうだった。しかも、その時も今回のLive Earth.でも、日本は参加国の1つだった。
 とにかく、日本ではボ----っと暮らしてると、世界からおいてきぼりを食らうことになる。

 Live Earth.この地球ライブのテーマ・ソングは、マドンナの歌う、“Hey You”だった。下に置いたのは、そのYouTube.用に送られたPVだが、すばらしい曲だった。というワケで、皆さんもどうぞ、ご覧あれ。
 
 これは基本的に気候変動へのアクションを促す歌で、ワールド・ワイドなメッセージ・ソングらしく、リリックはシンプルな英単語でつづられた分かりやすいものだ。
 そして、最大のポイントは、この曲が、環境派な人々に対する仲間内ソングじゃないということだ。歌を聴けば分かるが、タイトル“Hey You”のYou とは、環境活動への懐疑派を指している。つまり、この曲のテーマは、彼らに対してエコ精神や博愛を目覚めさせようとする事だ。そこには、いつも世界に変革を求めるMadonna.らしさがある。
 そのHey You.のある、YouTube.ボックスのコメントらんを見渡すと、アメリカにはいかに懐疑派が多いかが分かる。“手遅れだ。” “ポップスターや政治家が知名度を上げるためにでっち上げた、ムーヴメントだ。” はたまた、“地球を救うというスローガンには、人間のゴーマンさがある。温暖化が進んでも地球は全くOK.で、人類が絶滅するだけだ”といった、自然主義的ニヒリズムまでがある。
 Madonna.はそんな連中に、Hey You!と言ってるのだ。けれど、マドンナ自身にもエコへの懐疑がなければ、こういう曲は作れない。彼女は心の闇に潜むそんな彼女自身にも、Hey You!と言ってるに違いない。Zfablove
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 そこで、僕は、ジョン・レノンの“All You need is Love.(愛こそすべて)”を思い出した。
 これはビートルズ時代のJohn.の名曲だ。そしてこれは、“Our World.”という人道企画の元、BBCの衛星中継を通して全世界にライブ・パフォーマンスされた曲でもある。世界26カ国、3億人以上がTVで見たと言われるもので、当時のメディアとして世界初の試みでもあった。
 つまり、このAll You need is Love.は、今回のLive Earth.でのマドンナの“Hey You”とほぼ同じ状況で作られた曲だ。そして、その曲作りの姿勢も共通している。
 これは甘々なラブ・ソングとして有名で、日本でもひどい誤訳、誤解を受けている曲だ。実際、そのリリックはAll You need is Love.という1文をのぞけば、愛への否定的態度に満ちている。
“作られてないものを作ることは出来ない。救えない人を救うことは出来ない。でも、自分の時間に浸ることは出来る。そっちの方がイージーだろ” シンプルに訳せば、こういう詩が唄われている。そして、その本質には、世界を変えることへの絶望と、自分だけの世界に逃げ込むことへの誘惑がある。
 John.はそんな文句を並べた上で、All You need is Love!(そんなお前に何より必要なのは、愛だ!)と叫んでいる。だからこそ、この1フレーズは強烈に響くのだ。
 この1曲は、そんな孤独の最果てに落ちた人々にこそ向けられている。そして、John、自身にもそんな自分があるからこそ、
こういう曲が作れる。つまり、All you need is Love.You.には、彼自身もふくまれている。John.はこの曲を自分自身への警鐘としても作ったハズだ。
 
 そこに、Live Earth.のために、Hey You.を作ったマドンナとの共通点がある。要するに、John.Madonna.も、博愛という甘いテーマを打ち出しながら、それに対して否定的な自我があることを暗示させている。その上で、それを克服することを多くの否定派に、そして自分自身に訴えている。
 そういう自我の葛藤の中に、本物の愛や誠実さがある。ジョンとマドンナ。この2人に対して、ポールやセリーヌ・ディオンなんかのラブ・ソングが浅はかなのは、何の抵抗もなく愛を歌い上げているからだ。また、それは日本で流行る大半のラブ・ソングにも言える。
 世界平和やエコが、人類の歴史上、正しい選択なのかどうかは分からない。ただ、少なくとも世間のニヒルな流れや、自身の無気力さに身をまかせるよりかはマシだ。真実とは、そういうイージーな方向には絶対ない。
 John Lennon.Madonna. 彼らは、世界に変革を促しながら、自分に対しても変革を迫るアーティストだった。■



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 P.S.

 これはMadonna.本人のブログの1記事、“It's All an Illusion”に貼ってあった図です。左が怒ってる人で、右が冷静な人に見えるハズです。だけど、PC画面から2-3mほど離れて見ると、あらフシギ。それがスイッチして、見えるハズです。
 マドンナによると、グラスゴー大学の人(たぶん教授だろう)による発明だそう。彼女はこれに対し、私たちが普段、見ているものが確かじゃない事の証明だわと書いている。世界の価値観をひっくり返し続ける、彼女らしいブログ記事で、まったく感心、感心。あ、でも、目の悪い人には、スイッチして見えないかも。どうなんだろうか?■

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2007年7月19日 (木)

魔女と悪女のサマンサ

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木村カエラのニューシングル、“SAMANTHA”が発売された。とはいえ、僕はCD.を買うつもりはない。なので、これはアフィリエイトなレヴュー記事じゃない。
 買わないのは曲が気に入らなかったワケじゃなく、僕はNapster.の登場ぐらいから、CDそのものを購入しなくなった。それはオーゲサに言えば、1握りの強欲な所有者を優遇する社会への反逆精神でもあり、連中が世の貧富の差を広げてる元凶だ。だけど、1般的に見ても、i-Pod, i-Tunes, 革命後、CDレスな流れが主流になりつつあり、いい時代になってきてる。このまま、ハイテクが進めば、アーティストと受け手の間にミゾがなくなり、インタラクティヴィティーが高まって、文化がどんどん豊かになってゆくだろう。その1方で、何かを所有してるというだけで、莫大な富を得てる連中は消えてゆくだろう。
【サマンサ違い!】
 と、いきなり横道にそれたが、今回は、カエラのニューシングル、“SAMANTHA”と、彼女についてのエッセイ。 僕はカエラの大ファンの1人だ。この曲のタイトル、“サマンサ”について、何かでアメリカのTVドラマの人気キャラから来てると読んだ。そこで、僕の脳内Google.サーチをすると、“Samantha Jones.”が引っかかった。彼女は、アメリカ・HBOの人気ドラマ、“Sex and the City”に出てくる4人のメイン・ロールの1人だ。キム・キャトラル演じるサマンサはとにかく、ファニーでボムシェルでビッチな役所で、4人の中でも圧倒的にキャラ立ちしてる。で、僕はカエラのこのサマンサも、彼女をモデルにしたものかと勝手に思い込んだ。
 「そういえば、長く延期されてた、SATCの映画版もこの夏にクランク・インするというし、カエラ、それに合わせたんかな。そうか、じゃあ、ニューシングルはエッチでエッジーな曲になるのか」などと思っていた。それから、YouTube.で、SAMANTHA.PVを見た。(下にYouTube.ボックスを置いたので、見たい方はどうぞ)
  するとその予想、また、そのポスターでグっと拳を握って2の腕のタトゥーを披ろうしてる迫力の彼女とは正反対の曲だった。まったく可愛らしいかぎりで、それにはポアンと口を開くしかなかった。「いったい、なぜ」そう思ってると、そのPVとリンクしたVids.に、カエラ本人がサマンサについて語るVids.があり、それをクリックした。そうして、やっとこの“Samantha”が、「奥様は魔女」のサマンサから来てるのを知った。それにしても、カエラ、あんたいくつなんだよ! 1つ世代上の僕でもそのアメリカの古典ドラマは見たことなく、最近何かで再ブームにでもなったのだろうか? にしても、SATC のサマンサへのオマージュ・ソングだったらと思うと、そっちの方が絶対いい!と思える。Baloon
【パイオニアなカエラ】
 曲レヴューすると、<★★★☆☆>という所。
 最初に聴いた時は、NO―――!という程に甘いものだが、聴くほどによくなってくるテイストもある。スウィートなメロディーとエッジーなビートが、1つに調和されたグルーヴになってて、まさにカエラ印の1曲とも言える。ポップ・パンクな曲をここまで上手く作れる女性シンガーは、今も昔も日本ではカエラだけだ。それ以前に、Avril Lavigneがそのマーケットを作ってたとはいえ、その点でカエラはパイオニアだ。彼女のファン層が老若男女と広いワケも、そういう柔軟さがあるからだろう。僕にとっても、彼女は日本で今1番お気に入りなアーティストだ。
 にしても、この、“SAMANTHA”では、キュート・テイストが強く、Snow Dome.以来、どうもそっちに流れすぎててバランスが悪い。カエラの今年のモットーは女性的になる事らしいが、音楽面で言うと、それは単にアイドル路線との妥協となって出て来ているように感じる。
【曲のコンセプト】
 またこの曲について、カエラは自らの、KAELABLOG.でこんな事を書いてる。(読みたい方は、コチラ
“これは、ダメ人間についての曲。人が自分について知れるのは、わずかなことで、多くは他人との関わり合い、ぶつかり合いの中で学んでゆくもの。そうやって自分を知ってゆかないと、自分を美化してしまう。それと逆に、自分のダメさを受け入れたら人の痛みが分かって、人に尽くす人間になれる。そんな願いがあって、この曲を書いた。”
 要約すれば、こんな感じだ。それはちょーど、僕が最近書いたブログ、パリス事件や原爆についてのエッセイの1st.テーマとも重なる。要するに、個人でも国家のレヴェルでも、コミュニケーションの喪失が、自己ギマンや自己神秘化を生み、それと現実のギャップがあらゆる事故や悲劇の元になっているということだ。
 また、カエラがサマンサに込めたこの思いは、人の心にとって最も大切な核でもある。とにかく、ここさえ注意しとけば、長い人生を歩む中で大きく道を誤ることはないとも言えるもんだ。
【多才なカエラ】
 また、カエラのBlog、には、こういう深い内容のエッセイが多くあって、30男の僕もいい勉強になる。カエラはあんなにパンクで可愛いのに、同時に物事をこんなに深く感じたり考えたりして、それを自分の言葉で表現することが出来るのか、と思わされる。最近はギターも弾くし、ステージ・ダンスも上手くなってきた。神様はこの小娘に、2ブツも3ブツ4ブツも与えたワケで、まったくいい加減にしろとも思えるけど。また、芸能人ブログの大半はゴースト・ライティングの産物だが、カエラ・ブログの内容は彼女のインタヴューやリリックにも反映されてて、何の疑いの余地もない。Kim
【どっちなんだろうね】
 先に、このニューシングル、“SAMANTHA”のモデルを「セックス・アンド・ザ・シティー」のサマンサにして欲しかったと書いた。けれど、こんなコンセプトを考えると、SATC.のサマンサでは成り立たない。カエラはこの曲の中で、奥様は魔女のサマンサを、優しく強く大きな女だと唄う。
 1方、SATCの悪女、サマンサは、6シーズンのドラマの中で、計100人以上の男とセックスしたと言われる。その意味で、彼女は素晴らしく大らかだ。だけど、その1方で、SATCの映画版が3年も延期されたのは、サマンサ役のキム・キャトラルが、S.J.パーカーよりギャラが低い事を理由に契約しなかったためだと言われてる。性的大らかさと、精神的大らかさ。いったい、どっちが上に来るもんなんだろうか?■

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2007年7月15日 (日)

孤立と自己ギマンの果ての原爆。<前半>

【PREFACE】
 今回の、Blog.テーマは「原爆」だ。ドカーン。これから、2回に分けて、ヒロシマ・ナガサキに落ちた原爆について長々と論文調に書く。ドカーン。1体何のために、僕はそんな事をするのか。大学の単位のためでも仕事のためでもアフィリエイトのためでもなく、このブログに熱心なリピーターがいるワケでもない。
 前回、僕のブログ観について書いたが、そこにもある通り、第1にはジコ・ケーハツのためにやる。自分を少しでもマシな人間にするためにやるのだ。そして、それが誰かの人生観に影響を与えたり、有意義なコミュニケーションに発展したりすればという望みがある。少なくとも、僕は自分の頭の良さをひけらかすために、こんな事を時間かけてやりたいワケじゃない。だけど、もし読んでて、そんなキドリが見えたら“クソ野朗!”というコメントを下さい。
 そして、まず断っておきたいのは、僕は先生や教授や学者でもなく、プロのライターや作家でもないという事だ。ただのシロートであり、昨日も松嶋かえで
のAVを借りてきたような男だ。ただ、僕は今まで、原爆、このヒロシマ・ナガサキに落ちた爆弾について、色んなメディアを通して人並み以上の情報と思考を積み重ねてきたとは思う。まず、これを読む人には、この原爆エッセイが、そんな男の手によるものだと断っておきたい。
【原爆2元論と日米の平行線】
このエッセイのキッカケになったのは、今週号(07年7月18日号)の、ニューズ・ウィークの1記事だ。それは、最近の久間防衛相の「原爆・しょうがない」発言による政界スキャンダルを受け、あらためて原爆投下について検証するという内容だった。テキストは、ネッド・バーネットという1970年代からのキャリアがある、軍事研究家によるものだ。
 僕は今まで、原爆について考えるたびに、Yes.と、No.の波にアップアップとおぼれていた。つまり、こう考えると、原爆は正しい、だけど、こう考えると、間違いだ、といった堂々巡りを続けていた。しかし、このバーネットの記事について考えるうちに、そうなる理由が分かった。
 結論から書けば、それはこの原爆投下が、究極的に2つのポイントで判断されるもので、その2つが完全に相反し合ったものだからだ。
 その2元論とは、理論的観点と人道的観点だ。そして、そこには、アメリカと日本が原爆問題について、いつまでも平行線をたどり、共鳴し合えない理由もある。これについての突っ込んだ意見は、後半に回したい。Nagasaki1a
【日本人の精神遺産】

 Newsweek.のバーネットの記事をキッカケに、上に書いた原爆の2元論に至った。それと共に僕は、理論的観点では、原爆・肯定派、容認派だという態度を固めた。
 もちろん、人道的には認められない。アメリカは、ヒロシマ・ナガサキで人類史上最悪の罪を犯したのだ。僕も、世界で唯1の被爆国に生まれた1人だ。被害者の味わった壮絶な痛みや悲しみや虚しさは、少し想像を働かせば、胸を熱く揺るがすものになる。同じ日本人なら、多くの人が共感してくれるだろう。道徳臭くなるが、それは日本人がどんな時代にも共有すべき、“精神遺産”とでも言えるものだ。
 しかしながら、理論的態度として、僕は原爆・肯定派である。
【過剰殺戮の意思はあったのか?】
 さて、Newsweek.誌のネッド・バーネットによる記事について書いていこう。それは、僕の原爆への態度を変える大きなキッカケになった。とはいえ、2-3文をのぞけば、僕はその内容のほぼ全てに反対だ。
 まず、バーネットは歴史の修正主義派(つまり、原爆反対派)が、時代の観念の変化によって、この原爆投下をとらえてきたという。彼によれば、当時のアメリカは原爆に対して、核という認識がなく、ただの大型爆弾だと思っていた。その被害予想にしても、東京大空襲の延長のようにとらえていた、という。
 つまり、アメリカは過剰な殺戮兵器と知りながら原爆を落とした、という反対派の意見は、戦後に生まれた核不拡散のムーヴメントの中で生まれた、でっち上げだ、と言いたいのだろう。
 だけど、これは明らかにおかしい。核の認識がなくても、当時のアメリカは第2次世界大戦の最終兵器として、原爆を使ったハズだ。“これは人類史上最悪のジェノサイドになるかも知れない” アメリカにはそんな意識があったハズで、原爆投下は、大罪を自覚しながらの行為だったハズだ。
【人体実験の可能性と飢えの懸念】
 次に、バーネットは原爆の実験性を否定してる。ヒロシマの前に、米軍はニューメキシコで実験をしてるので、その意図はなかったというワケだ。が、それはバカげた反論だ。なぜなら、それは人体実験じゃないからだ。原爆が1体、どれだけの人を殺せるのだろうか? アメリカは間違いなく、それを知りたかったハズだ。その実験性を裏付けるように、ヒロシマとナガサキでは、2種類の原爆(プルトニュウムとウラン)が使用された。
 また、バーネットは、原爆によってアメリカが早期終戦を望んだのは、日本人の飢えを防ぐためだったという。戦争が46-7年まで延びれば、民間人の餓死者は、数100万人出たという。だけど、当時のアメリカが日本の食糧事情に精通してたとしても、その考えはあまりにセンチメンタルだ。あれだけ、徹底抗戦してた敵国にそんな同情を持つワケがない。これこそ後の時代になって、でっち上げた空論だ。
  【パワーを求めたアメリカ】Alberteinsteinatomicbomb

  1方で、バーネットは、歴史修正主義(原爆反対)派にとっての最強の意見も取り上げる。 それは、アメリカが戦後、世界の唯1の超大国として君臨したかったため、原爆を使ったという事だ。終戦間際になって、ソ連もまた日本戦に参戦し始めた。そのため、アメリカは戦後の日本をソ連と分割統合したくないと焦り、原爆を落とした。バーネットは記事の中、これにだけは直接的に反論してない。それもそのハズで、これは原爆投下のモチベーションとして、大きな位置を占めるものだからだ。
 そもそも原爆とは、アメリカの力への欲求から生まれたものだった。
 原爆の父とされる、アインシュタインは熱心な平和主義者だった。だが、ルーズヴェルト米大統領から、ナチスが原爆計画を着々と進めているという手紙をもらい、心変わりをした。つまり、悪を止めるには、大きな力が必要であり、それは未来平和への力にもなると考えた。だが、当時のアメリカ政府高官の誰もが、ナチスの原爆実験が失敗してることを知っていた。つまり、連中はアインシュタインをだまして、原爆作りの基礎となったマンハッタン計画に彼を加担させたのだ。原爆の歴史の始まりは、アメリカによるスーパー・パワーへの欲求からだった。それは、戦争抑止や、世界平和とは無縁のものだった。
【世界とソ連への力の誇示】
 そうして、それはヒロシマ・ナガサキへの原爆投下にも反映されている。だけど、果たしてそれが、第1の理由なのだろうか? 僕はそうは思わない。
 そこで先に書いたバーネットの意見が浮かんでくる。歴史的な出来事がその後の時代の流れの中で、歪曲させられる。第2次大戦後、世界は米ソにまっ2つに分かれ、冷戦の時代に入る。その結果論から、原爆投下が、アメリカによるソ連へのイカク、けん制に見えるんじゃないだろうか? このアメリカの力の誇示論も、戦後の流れの中で出て来た、でっち上げ批判じゃないだろうか? 僕はそう思える。
 原爆投下の前、アメリカはすでに西ヨーロッパや太平洋の戦いで、数々の歴史的勝利を収めてきた。すでにそのパワーを世界中に誇示していたのだ。ソ連に対するイカクという事も、原爆への大きなモチベーションにはならない。当時のアメリカは遠い遠い異国のソ連について多くを知らなかったハズだ。そして戦後、ソ連との冷戦時代に入ることは、予測はしてても確信までしてなかったに違いない。 
 【日本における主な否定論】
 特に日本人の原爆反対派の最大の意見は、こうだろう。過剰な無差別殺戮をもたらす核兵器を使用することは、どんな理由があっても絶対に許されるものじゃない。
 または、日本が講和条約の努力をしてたのに、アメリカがそれを受け入れず原爆に走ったというのもよく聞く。まず、この後者の意見は的外れだ。あれだけの大戦争が講和という妥協の形で終われば、間違いなく後々にも戦争の火種を残すことになる。戦争とは次世代の平和のためにも、徹底的にやり合わねばならないものだ。また、日本の敗戦が決定的なのに、原爆を落としたという意見もある。が、これは問題のすり替えだ。原爆は確かに、アメリカの追い討ちだった。だけど、そうさせたのは日本だ。日本こそが、敗戦が決定的な状況でも降伏せずに、戦争を引き延ばしたのだ。
 
  そして、1つ目の絶対的な平和・人道主義とでも言える論に移る。この点で見れば、どう考えても原爆投下は間違っている。これに対し、NW誌のバーネットは、戦争下の道徳というもので対抗している。“戦争下における最も重要な道徳は、被害を最小限に抑えて、戦争を終わらせることだ”確か、そんな文面だった。それは、彼の文面の中で共感できた数少ない1文だった。
 それは正しい。より大きな暴力と被害を未然に防ぎたい時。その時にだけは、暴力は許されるハズだ。つまり、道徳とは、平和時と戦争時では異なるものになる。NWのバーネットによれば、もし本土決戦になってれば、どう少なく見積もっても、アメリカ兵だけで数100万の犠牲が出たという。
 もし、それがでっち上げの計算だとしても、道徳の柱である人命尊重の点で、日本はアメリカを攻められない。なぜなら、大戦中の日本は、アメリカよりも日本国民の命にムトンチャクだったからだ。 
 後半に続く。<リンク>

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孤立と自己ギマンの果ての原爆。<後半>

                          原爆・エッセイ。<後半>
 【思想の闘い?】
 
第2次大戦中、人命の尊重という点で、日本はアメリカよりも日本国民の命に無関心だった。
 もし、大日本帝国のトップたちがマジに自国民のことを考えていたら、太平洋を取られ、本土の制空権を握られた時点で降伏してただろう。その無情さを何よりも伝えるのが、ナガサキの原爆だ。僕にとってそれは1発目よりもショッキングなものだ。というのも、それは日本がヒロシマの大惨劇を受けても降伏しなかったことを意味するからだ。ここまで来ると、何もかもがクレイジーだ。
 が、その流れは、理解できるものでもある。 当時の日本は、死と集団を前提にした神秘主義の国だった。1方、アメリカや連合軍国家は、生と個を前提にした合理主義に貫かれていた。第2次大戦は、このイミで、思想の闘いだったとも言われている。
【日本の自己ギマン】
 しかしだ。日本はホントに神の国だったのだろうか? もし、生きるとは死ぬことにありみたいな東洋思想にハマった国だったら、日本はいくら原爆が落ちようとも降伏しなかったハズだ。
 それこそ、村上龍サンの小説「5分後の世界」みたいになってただろう。このシミュレーション・フィクションでは、5発の原爆が落ちても日本は降伏せず、本土決戦になって大虐殺の果てに大日本帝国は消滅する。だが、その後わずかに生き残った人が地下にゲリラ組織を作り、占領国に抵抗を続けるというのが大筋だ。
 だけど、この話には根本的な矛盾点がある。生存した日本人は過去の敗戦の経験から命の尊重と、科学的戦略を学び、占領軍に組織的な抵抗を繰り返し、世界中から尊敬される存在になる。もし、本土決戦をしなかったら、日本は無知なまま命を尊重できないまま、何も学べなかったかも知れない。といった文面もある。
 だけど、それは反対だ。
 日本は本土決戦をしなかったからこそ、西洋の思想を学べたのだ。もし、度重なる原爆と虐殺の果てに日本が滅びたなら、残されたわずかな日本人の多くは自殺していただろう。なぜなら、大日本帝国は高貴な死の思想の元に滅んだのだから、残された人もそれに従うだろう。そして、日本消滅は、東洋の神秘主義を何よりも伝える、人類史の巨大なピースとなったことだろう。
 だけど、実際はそうはならなかった。日本は、2度の原爆で無条件降伏したのだ。
 という事はだ。日本は、死に根づいた神の国なんかじゃなかったのだ。そのフリをしてただけだ。日本を降伏に至らせたものは、何だったのか? 「自分の頭の上にいつ原爆が落ちてくるか分からない」 お偉方も国民もそういう迫りくる死の意識に、降伏したのだ。1013abomb1
【コミュニケーションと集団幻想】
 じゃあ、日本が自分を見誤っていた原因は何なのか? それは結局、他の国とコミュニケーションしなかったからだ。それこそが、正しい自己認識を生む。だけど、当時の日本は島国らしく孤立したまま近代化し、1時的に生まれた軍事政権の熱狂的な扇動で、「神の国」という集団幻想を持つようになった。
 それが、2発の原爆で吹っ飛んだのだ。
 日本が西洋型の合理主義に順応することは、その後の高度経済成長で実証ずみだ。ドイツもまた本質的に日本と同じ道をたどった。それは、洗脳とか迎合じゃなく、日本やドイツには元から外部世界と共有できる思想があったからだ。それとは逆に、アフガンやイラクでは、いくらアメリカが占領統治し続けても西洋主義が芽生えないが、それは中東の人々にその根がないからだ。
 さて、原爆責任について、考えていこう。
 日本の側にあるという中でなら、その1般的なのは、皇族なり軍事政権の閣僚なりといった1部の人に押し付けるパターンだ。だけど、それはそんなレヴェルのものじゃない。彼らは、突然変異のように生まれ落ち、日本を大悲劇へとミス・リードしたバケモノじゃない。彼らだって日本人だ。その決定や行動には、大多数の日本国民の意思も反映されていた。
 この責任は、壮大なものだ。先に原爆被害への共感は日本人の精神遺産だと書いたが、この責任意識もまたそうだ。当時の日本人はもちろん、それは今を生きる日本人も共有していかなくてはならないものだ。今の日本にだって、戦争時と変わらない集団幻想がアチコチで見れるのだから。
【アメリカの無情さ】
 原爆責任という点で、次にアメリカを見てみよう。先に書いたそのモチベーションを整理すると、世界やソ連への力の誇示と人体実験の意思があった。だけど、第1には戦争下の最高のモラル、最小限の犠牲による終戦の意思がくる。それは、最もありきたりな結論だが、真実だ。
 こういうイミで、僕はアメリカ原爆投下に対して肯定派だ。だけど、それは理論的な観点での態度だ。
 人道的には、アメリカを容認できない。先に書いたように、アメリカの原爆投下は、戦場の道徳で正当化できるものでもある。
 けれど、それは理論上のモラル・バリューであり、シンプルでいて普遍的な道徳には反している。つまり、過剰な殺戮行為である事を知りながら、それが大罪と知りながら、それを実行したのだ。その点で、アメリカは明らかに過ちを犯した。
  しかし、アメリカは、未だに公式に原爆問題で、日本に謝罪してない。すごくクレイジーだ。
 例えば、車を運転してて、危険な飛び出しをした子供をはねたとする。その子は即死した。が、非は明らかに子供にあり、運転者は法的に罪を問われなかった。しかし、その場合でも、運転者は家族に会いに行き、心から謝罪しなければならない。
 要するに、ことの客観的な是非と、道徳的な善悪は別物だという事だ。原爆問題でアメリカは、この2つを混同し、幼稚でガンコな態度を取り続けている。
【日本の無知さ】
だけど、同様の批判が、日本にも当てはまる。日本もまた、原爆問題に関して、アメリカに柔軟な態度を示してないからだ。
 ここで、このエッセイ冒頭に書いた、原爆・2元論に戻る。原爆投下は、究極的に2つのポイントで判断される。理論的観点と、人道的観点だ。そして、これはアメリカと日本の態度とも重なる。アメリカは、常に理論の立場で原爆をとらえ、自国を正当化してる。逆に、日本は人道の立場で原爆をとらえ、自国を正当化してる。要するに、どちらとも原爆に対して有利な立場で、相手国と向き合っているのだ。理論ではアメリカが勝ちで、人道では日本が勝ち。というワケで、いつまでたっても平行線をたどるのだ。
 ここでの解決策は、どちらか1方でもいいから相手の立場に立って自らの非を認めることだ。例えば、日本政府から、「歴史理論上、戦争道徳上の観点で原爆投下を振り返ってみると、アメリカの決断は正しいものだった。」と、公式表明したとする。そうすれば、ほぼ間違いなく、アメリカも柔軟さを見せるだろう。「原爆投下は戦争上不可避なものだったが、人道的観点からは許されないものだった。」みたいな公式声明が返ってきても、フシギじゃない。
 だけど現実は、どっちの国も62年もの時をはさみながら、お互いの有利な立場に引きこもったまま原爆について、真のコミュニケーションを交わそうとしていない。
 【久間ショックに見る、変われない日本】
 久間防衛相の「原爆・しょうがない」発言に触れると、そこにも日本の引きこもりの姿が見える。僕は、キューマ防衛相の原爆発言の要旨を読んだ。読みたい方は、この、IZA.のリンクで。
 それを読めば、彼が理論的観点の中で、「しょうがない」を使ったのが、すぐに分かる。彼は、アメリカの人道上の罪を容認してるワケじゃない。なので、それは決して被爆者や遺族を傷つけるものじゃない。原爆使用の肯定意見であり、それは自由思想の日本では許されることだ。Abre_lo_ojos_1
 けれど、原爆反対派や世論は相変わらずの人道的、被害感情的な立場から、キューマ大臣を1気に叩き潰してしまった。彼らによれば、キューマ発言は、アメリカよりの考えだという。彼らは、理論的観点とそれを完全に混同している。
 キューマ発言は、原爆に対する日本の引きこもり状態を解き放つ、チャンスでもあった。もし、この発言が国民の支持を得て、政府としてアメリカにその意見を伝えたら。先に書いたように、原爆に関する真のコミュニケーションが生まれるキッカケになっただろう。
【青空】
 現代の日本にも、色んなレヴェルで、共同幻想が存在する。他者、他国と心からコミュニケーションしようとしない結果、自分を見誤り、どんどんフリーキーな存在になってゆく。それは半世紀以上前、原爆を招いた大日本帝国の正体でもある。また、それはあらゆる悲劇の本質だ。
 日本は未だに、あのキノコ雲の中にスッポリ覆われているのかも知れない。そんな中で、僕らが少しでも自由になろうとする方法。それは、どんな相手にも、まったくの他人や憎いヤツにも、理解と寛容の気持ちと共に接しようとすることだ。ありふれた答えだが、結局そこにたどり着く。
 キノコ雲を払って青空を見上げるためには、そういう努力が必要なのだ。■

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2007年7月14日 (土)

僕がBLOGする、あるありふれた理由。

 ココログで、Blog.を始めて2ヶ月だが、我ながら色んなことを書いたなと思う。カンヌ映画祭、レーガン大統領、パリス・ヒルトン事件、ロック・レヴューに、ウィンブルドン報告。そして、次にはヒロシマ・ナガサキの原爆について、長く書いてみようと思っている。
 僕はこれまで、自分の思うまま勝手キママに、時には偉そうに時には事情通的に、エッセイしてきた。なので、このBlog.をのぞいた人は、こいつは1体何様だ!と思うかも知れない。 
 だが、プロフィールにも書いてる通り、僕は何者でもない。ただ、メディア・ライフに生きがいがあり、実人生よりも、ポップカルチャーやニュースの中の出来事について、色々感じたり考えたりすることが多い日々を送ってるだけだ。そういう30代の日本人は、僕以外にも多くいることだろう。 
 そんな、Blog.エッセイを続けてると、1体自分は何のために、結構な時間をさいて書いてるのか?と考えさせられる。その答えはシンプルだ。自分のため、カッコつければ、自分を少しはマシな人間にするために書いているのだ。
 僕の、Blog.では、主に世界で起こったスーパーな出来事を話題にしている。
 だが、僕はそこに、日本で普通に暮らす僕や他の人の日常との本質的な接点をも与えている。どんなに非日常的な記事にでも、僕は自分の心情や人生との何らかのツナガリを与えようとしてきた。
 なので、Blog.を読み返すと、ただのメディア日記以上の感慨が生まれる。自分自身に啓蒙されたような、自分の人格を1つランク・アップさせられたような感じだ。
 そして、僕がその記録を、Blog,に残すのは、顔も名前も知らない他者とそれを共有したいからだ。たった1人でもいいから誰かが、楽しんでくれたり学んでくれるのを望んでいるから。また、僕自身、コメントを通じて、広範なコミュニケーションがしたいからだ。
 ありふれた理由だけど、僕が、BLOG.する理由は、まぁそんなとこだ。Img_005
 僕は世の中の色んな事に、多くの不満や意見を持っている。だが、それを世間へのケーベツやアキラメと共に、自分の頭の中に封印する事だけはしたくない。それがどんなに考えられたものでも、僕の頭にある限り、その考えはゼロだ。誰かの頭やハートに届いた時、初めてそれは何かになる。
僕の、Blog.タイトル。「Maybe it’s Something」は、そんな思いでつけたものだ。
 大分、訪問者が増えてきたが、まだまだ僕の、Blog.は発展途上だ。特に、コメントの量がサッパリだ。長い内容ばかりだからか、もしくは僕の態度が偉そうだからか。皆んな、ちょっとでも何か引っかかることあれば、どんな短い意見や悪口でも、送って下さい。
 もっと、エッセイのテーマを絞った方が、読者を獲得できるのかも知れない。だけど、もうちょっとこの「僕の気の向くまま路線」を続けて様子を見たい。■

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2007年7月 9日 (月)

100年に1度のテニス

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 ウィンブルドン-2007、男子・シングルス・ファイナルが、8日、日曜日、当地のオール・イングランド・クラブで行われた。R.フェデラー(スイス)と、R.ナダル(スペイン)という1・2シードの対決になり、両選手ともに大記録のかかった歴史的名目のある闘いになった。試合内容もそれに劣らず大接戦となり、5セットマッチで総時間、3時間45分というウィンブルドン史上3番目に長いファイナル・マッチとなった。
 勝ったのは、R.フェデラーで、スコア{7-6(9-7) 4-6 7-6(7-3) 2-6 6-2}
 これで、フェデラーは5連覇を達成。100年のウィンブルドンの歴史で、1980年のB.ボルグ以来、2人目の大記録を樹立した。1方のナダルは、これまたボルグ以来、初となる全仏・全英、連覇の夢をたたれることとなった。

【テニスって、長すぎない?】

 テニスの試合時間には、いつも不満がある。もっと短くすべきだ。ルール改正によって、それは可能だ。僕が1番に望むのは、デュース制度の緩和だ。例えば、セットの中、どちらかの選手が4ゲームを取るまで、デュースをなしにする。そうすれば、平均・試合時間は今の2/.くらいになるだろう。女子なら1時間。男子なら2時間弱。たった2人の選手があんなせまいコートで闘うスポーツには、それくらいで充分なもんだ。だから、僕はいつも男子テニスの試合は、ライブでは見ない。
 ウィンブルドン-07.決勝、Federer v Nadal.この試合は、サッカーの2試合分以上の長さ、映画「Titanic」の上映時間を遥かに超える長さになった。まったく、フザけるなという所。
 しかしだ。僕はこの3時間45分を長く感じることはなかった。時々、本を読んだり、アレしたり、別室で鈍った体をストレッチしたりしたものの、大半の時間、TVを見続けていた。芝の2人に、ずっと魅了されていたのだ。というワケで、こういうゲームには現状のルールが1番だなと学ばされたのだった。
【勝負を決めたポイント】
 Federer.と、Nadal.この2年連続の、Wimbledon・Final。これは、きっと世界のスポーツ界にとって、今年、No-1のスポーツ・モメントとなるだろう。そして、テニスの歴史にとって、100年後のテニス・ファンに語られていても、フシギじゃない闘いだ。
 この大接戦の勝敗を分けたのは、サーヴだ。 Federer.は、Fed-Express.と言われるように足が超速く、ネコのようにコートを駆け回る。それと共に、このゲームでも、サーヴが冴えていた。結果、Federer.のサーヴィス・エースは24.それに対し、Nadal.はたった1つ。Nadal.も試合後、敗因を問われて1番に挙げたのが、サーヴの差だった。彼のサーヴの平均速度は、Federer.より10マイルも遅く、女子の、V.Williams.の平均とほぼ同じ速さだ。
 しかし、ストローク合戦では、Nadal.のクセのある左手打ちが、Federer.のミスを誘う。4セットの途中では、Federer.の凡ミスが、Nadal.のそれを10も上回った。
 しかし、5セット目に入ると、それも変わる。Federer.が2度、15-40.のブレーク・ピンチを切り抜けた時だ。どの新聞・ニュースでも、そこがこのゲームの勝敗を分けた、Defining Moment.として語られている。この2度の大ピンチを、Federer.はサーヴで乗り越えたんじゃない。ストローク戦で、勝ち続けたのだ。そうなった1番の要因は、Nadal.の凡ミスだ。彼はこの1番大事な局面で、凡ミスを連発し、その後のゲームでもそれを引きずった。これはもう、チャレンジャーの最大の弱み、勝つことへの戸惑いが出たとしか言いようがない。08cndmen2_600
【素晴らしきライヴァル】
 勝利が決まった瞬間、Federer.はコートに、文字通り崩れ落ちた。スローで見ると、「フェデラー、誰かにライフルで撃たれたか?」というものだ。それは、物静かな彼の内側に、どれだけパンパンに張り詰めたエナジーがあったかを伝える。
 しかし、この日の、Federer.は、いつものジェントルマン・スタイルを貫けなかった。新導入された、Hawk eye Challenge.で、ことごとく不利な判定を下され、4セット目には主審に毒づくばかりか、椅子に座ると、「Shit! It(Hawk Eye)is Killing me today.」ともらした。そして、5セット目には、Nadal.顔負けの闘志溢れるプレーを見せた。もちろん、そんな、ジェントルマンの野生を引き出せるのは、Nadal.だけであり、まさに好敵手である。
【フェデラーのハート】
 僕がこのゲームで最も心を動かされたのは、Federer.のネット・ダッシュだ。Nadal.のパッシング・ショットは天才的で、Fed.はネットに出るたびにポイントを失った。が、幾ら抜かれても、Fed.は、当たり前のように何度もネットに突進してゆく。そこには、スポーツを超えた美学があった。そこには、見る人の人生までポジティヴに変える力があった。Federer.がテニス・コートでネコのようにネットへ詰めてゆくのが見れる限り、この世界は大丈夫だな。彼を見てると、そんな臭いセリフがポロっと口から出てきたりもした。
 幾ら、Nadal.がサーヴの精度を上げても、こういうハートがある限り、Fed-Express.は止まらない。そう確信させるプレーだった。Wimbledon.6連覇と言わずに、8連覇を期待したい。前人未到のその連覇記録と共に、Pete Samplus.の持つ7回制覇の記録をも打ち破ってほしい。Federergirlfriend2163

【恋の5連覇達成!!!

 ところで、この試合には、もう1つの5連覇があった。それは、ファミリー・ボックスで応援してた、Federer.の恋人だ。
彼女は確か、Federer.が、Wimbledon.初制覇した時にも、そこにいたような気がする。つまり、彼女はこの5年連続、Fed.の恋人の座についているのだ。この若くてハンサムなチャンピオンの人生には、もちろん数限りない女の誘惑があるハズで、その中で、5年もずっと彼を手中にしてるのは、まったく奇跡的だ。もう、結婚してるとしてでも、すごい。
 また、今年に見る彼女は、まるでサイのような巨体に変貌してて、Federer..をキープ出来てるナゾは、ますます深まるばかりだ。とにかく、カレシがスポーツの世界でそうしたように、彼女の方は恋の世界で大記録を達成したと言える。■

P.S.
フローラン・ダバディーさんのブログで、Federer.のコミカルなNIKE・CMを見つけたよ。
 Sharapova.のCMといい、NIKEのCMのセンスの良さには、いつも感激。
 Federer.が見たい人は、
こちら。
 
Sharapova.が見たい人は、こちら。 英語が聞き取れなくても、内容は分かるよ。

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