芸能・アイドル

2007年7月19日 (木)

魔女と悪女のサマンサ

Imgtalk3

木村カエラのニューシングル、“SAMANTHA”が発売された。とはいえ、僕はCD.を買うつもりはない。なので、これはアフィリエイトなレヴュー記事じゃない。
 買わないのは曲が気に入らなかったワケじゃなく、僕はNapster.の登場ぐらいから、CDそのものを購入しなくなった。それはオーゲサに言えば、1握りの強欲な所有者を優遇する社会への反逆精神でもあり、連中が世の貧富の差を広げてる元凶だ。だけど、1般的に見ても、i-Pod, i-Tunes, 革命後、CDレスな流れが主流になりつつあり、いい時代になってきてる。このまま、ハイテクが進めば、アーティストと受け手の間にミゾがなくなり、インタラクティヴィティーが高まって、文化がどんどん豊かになってゆくだろう。その1方で、何かを所有してるというだけで、莫大な富を得てる連中は消えてゆくだろう。
【サマンサ違い!】
 と、いきなり横道にそれたが、今回は、カエラのニューシングル、“SAMANTHA”と、彼女についてのエッセイ。 僕はカエラの大ファンの1人だ。この曲のタイトル、“サマンサ”について、何かでアメリカのTVドラマの人気キャラから来てると読んだ。そこで、僕の脳内Google.サーチをすると、“Samantha Jones.”が引っかかった。彼女は、アメリカ・HBOの人気ドラマ、“Sex and the City”に出てくる4人のメイン・ロールの1人だ。キム・キャトラル演じるサマンサはとにかく、ファニーでボムシェルでビッチな役所で、4人の中でも圧倒的にキャラ立ちしてる。で、僕はカエラのこのサマンサも、彼女をモデルにしたものかと勝手に思い込んだ。
 「そういえば、長く延期されてた、SATCの映画版もこの夏にクランク・インするというし、カエラ、それに合わせたんかな。そうか、じゃあ、ニューシングルはエッチでエッジーな曲になるのか」などと思っていた。それから、YouTube.で、SAMANTHA.PVを見た。(下にYouTube.ボックスを置いたので、見たい方はどうぞ)
  するとその予想、また、そのポスターでグっと拳を握って2の腕のタトゥーを披ろうしてる迫力の彼女とは正反対の曲だった。まったく可愛らしいかぎりで、それにはポアンと口を開くしかなかった。「いったい、なぜ」そう思ってると、そのPVとリンクしたVids.に、カエラ本人がサマンサについて語るVids.があり、それをクリックした。そうして、やっとこの“Samantha”が、「奥様は魔女」のサマンサから来てるのを知った。それにしても、カエラ、あんたいくつなんだよ! 1つ世代上の僕でもそのアメリカの古典ドラマは見たことなく、最近何かで再ブームにでもなったのだろうか? にしても、SATC のサマンサへのオマージュ・ソングだったらと思うと、そっちの方が絶対いい!と思える。Baloon
【パイオニアなカエラ】
 曲レヴューすると、<★★★☆☆>という所。
 最初に聴いた時は、NO―――!という程に甘いものだが、聴くほどによくなってくるテイストもある。スウィートなメロディーとエッジーなビートが、1つに調和されたグルーヴになってて、まさにカエラ印の1曲とも言える。ポップ・パンクな曲をここまで上手く作れる女性シンガーは、今も昔も日本ではカエラだけだ。それ以前に、Avril Lavigneがそのマーケットを作ってたとはいえ、その点でカエラはパイオニアだ。彼女のファン層が老若男女と広いワケも、そういう柔軟さがあるからだろう。僕にとっても、彼女は日本で今1番お気に入りなアーティストだ。
 にしても、この、“SAMANTHA”では、キュート・テイストが強く、Snow Dome.以来、どうもそっちに流れすぎててバランスが悪い。カエラの今年のモットーは女性的になる事らしいが、音楽面で言うと、それは単にアイドル路線との妥協となって出て来ているように感じる。
【曲のコンセプト】
 またこの曲について、カエラは自らの、KAELABLOG.でこんな事を書いてる。(読みたい方は、コチラ
“これは、ダメ人間についての曲。人が自分について知れるのは、わずかなことで、多くは他人との関わり合い、ぶつかり合いの中で学んでゆくもの。そうやって自分を知ってゆかないと、自分を美化してしまう。それと逆に、自分のダメさを受け入れたら人の痛みが分かって、人に尽くす人間になれる。そんな願いがあって、この曲を書いた。”
 要約すれば、こんな感じだ。それはちょーど、僕が最近書いたブログ、パリス事件や原爆についてのエッセイの1st.テーマとも重なる。要するに、個人でも国家のレヴェルでも、コミュニケーションの喪失が、自己ギマンや自己神秘化を生み、それと現実のギャップがあらゆる事故や悲劇の元になっているということだ。
 また、カエラがサマンサに込めたこの思いは、人の心にとって最も大切な核でもある。とにかく、ここさえ注意しとけば、長い人生を歩む中で大きく道を誤ることはないとも言えるもんだ。
【多才なカエラ】
 また、カエラのBlog、には、こういう深い内容のエッセイが多くあって、30男の僕もいい勉強になる。カエラはあんなにパンクで可愛いのに、同時に物事をこんなに深く感じたり考えたりして、それを自分の言葉で表現することが出来るのか、と思わされる。最近はギターも弾くし、ステージ・ダンスも上手くなってきた。神様はこの小娘に、2ブツも3ブツ4ブツも与えたワケで、まったくいい加減にしろとも思えるけど。また、芸能人ブログの大半はゴースト・ライティングの産物だが、カエラ・ブログの内容は彼女のインタヴューやリリックにも反映されてて、何の疑いの余地もない。Kim
【どっちなんだろうね】
 先に、このニューシングル、“SAMANTHA”のモデルを「セックス・アンド・ザ・シティー」のサマンサにして欲しかったと書いた。けれど、こんなコンセプトを考えると、SATC.のサマンサでは成り立たない。カエラはこの曲の中で、奥様は魔女のサマンサを、優しく強く大きな女だと唄う。
 1方、SATCの悪女、サマンサは、6シーズンのドラマの中で、計100人以上の男とセックスしたと言われる。その意味で、彼女は素晴らしく大らかだ。だけど、その1方で、SATCの映画版が3年も延期されたのは、サマンサ役のキム・キャトラルが、S.J.パーカーよりギャラが低い事を理由に契約しなかったためだと言われてる。性的大らかさと、精神的大らかさ。いったい、どっちが上に来るもんなんだろうか?■

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2007年6月16日 (土)

パリスの収監とモンローの死

Paris20hilton20hates20jail_1 【ポップ・カルチャーは、社会の鏡】
 
世界中の注目を浴びたパリス・ヒルトン事件。僕はここでそれを通して、ちょっとした社会エッセイを試みたい。
 あんなパーティーとレンアイだけが生きがいのバカ女に、何の社会性があるんだ。世界には、もっとその実情を伝える事件があるだろう。と、そんなツッコミを入れる人も、ちょっと目を向けて欲しい。世界の姿を最もハッキリと映し出す鏡。それはポップ・カルチャーだ。そこで起きる大きな出来事には、必ず何らかの象徴性がある。僕はこの事件に大きな象徴性を感じている。今のアメリカ、そして世界の姿を、今年起こったどんな出来事よりも、ハッキリと映し出してるように思えるのだ。

 【この事件に対する、4つの反応】
 6月半ばのこの1週間、パリス・バッシングの嵐がアメリカ全土を駆け抜けた。このパリス事件は日本のメディアも大きく報じたが、ただの笑い話として扱っていたように見える。つまり、これまでの彼女のゴシップと同じく、取るに足らない“お騒がせパリス”事件だと捉えていた。 世界的に見ても、このパリス事件に対する人々の反応は、主にこの2つに分かれるだろう。
 つまり、バッシング派か、からかい派かだ。そして次に多いのが無関心派だろう。上に書いたような、世界にはもっと伝えるべきニュースがあるだろうというマジメ派だ。
 さて僕はと言えば、この3つの主流派には属していない。そう、つまり僕はマレに見る、パリス・サポート派だ。
 
【そもそも、パリスは45日もの禁固刑に当たる罪を犯してない。】
 事件を振り返ると、まずパリスは車の飲酒運転で捕まった。そして保護観察と免停が課せられた中、また運転中の何らかの違法行為(それについて確かな報道はない)でパクられた。ただ、それだけだ。
 つまり、たった2回の交通違反で、1ヶ月以上のムショ暮らしのバツをくらったことになる。それに関してパリス・バッシング派は、彼女が保護観察中に逮捕されたからだと言う。だが、そもそも1回の飲酒運転だけ(しかも酒気帯び程度の量)で保護観察(次に何かやったら、ムショですよという状態)が課せられること自体が異常だ。日本や他の国の道交法ではどうなってんのかは知らない。しかし、普通の感覚に従えば、明らかにおかしい。
 これは、アメリカならではの厳罰であるハズだ。アメリカでは年間、4万人もの人が飲酒運転事故で命を落とすんで、道交法も厳しくせざるを得ない状態なのだ。そう言えば日本も去年、飲酒事故が多発してそうなった。
【権力の膨張と犯罪者の増加による、悪夢のスパイラル】
 そんなパリスへの厳罰の奥には、今の病みきったアメリカの姿が見える。7年にも渡るブッシュのミス・リードで、アメリカは今まさに崖っぷちまで追い込まれている。
 まず、ブッシュは幻想のテロリズムで権力を膨張させた。僕は、9.11はもちろん、それ以降の先進国での国際テロも、すべてアメリカ主導のやらせだと信じている。
 権力が膨張すると、世の常として凶悪犯罪が増え、それと共に法律も厳しくなる。その結果、普通の人々の自由も脅かされるようになる。つまり、ちょっとした悪事でも違法行為になり、過剰なバツが課せられる。
 要するに、この事件のパリス・ヒルトンもその1人なのだ。
 権力の膨張と犯罪者の増加。この悪循環が今、アメリカを地獄へと導いている。そして、ついにパリス・ヒルトンまでが、その泥沼に投げ込まれたのだ。
 
【パリス・ヒルトンとマリリン・モンロー】
 なあにをオーゲサな。ただ、大金持ちのビッチが、ワガママ暮らしの果てにムショに放り込まれただけじゃんか。と、そう思う人もいるだろう。しかし、今やパリスは、アメリカのアイコンであり、セックス・シンボルでもある。と、言えばマリリン・モンローが思い浮かぶ。パリスはモンローと較べられるに値する存在だ。モンローほど愛されてないし芸もないじゃんか、との突っ込みは外れている。モンローだって全盛期は、今のパリスのように社会の保守層に大バッシングされてたし、彼女の演技や歌の才能もパリスのそれと大差はない。
 そして、モンローの死は、今のパリス収監事件とも重なる。1962年、モンローは暗殺めいたナゾの死を遂げた。ちょうどアメリカが、ベトナム戦争に熱を入れ始めた頃だ。そして、今アメリカはイラク戦争の泥沼にハマっている。
 1時代のポップ・アイコンが苦難に遭う時。
 きっと、それは世界が近い将来、どん底に落ちてしまう事を告げるサインだ。
 オリの中に入ったパリス・ヒルトン。それは、かつての栄光に満ちたアメリカが、オリに入った姿でもある。このパリス事件は、ただのスキャンダルや笑い話に終わらない時代的な象徴性を帯びている。■

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2007年6月10日 (日)

パリス vs アメリカ

 【PARIS; NO APPEAL!】
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さて、ムショに戻ったパリスはどうなったんだろう。そんな思いで、日曜の朝のCNNのヘッドラインを見た僕の目に、こんな文字が飛び込んできた。NO APPEAL.ウーン、今日のパリスは、おとなしく受刑生活を送ったってことかい。
 昨日、怒れるアメリカ世論と判事の決定で、彼女は仮釈放を取り消された。そうして、泣く泣くママから引き離されて、再投獄させられた。
つまり、このパリス激動の3-4日を振り返ると、入所、保安官による仮釈放、判事による訴えの棄却、そして再投獄となったワケだ。
週明けの月曜には、今後の刑期の長さが決まる最終裁判がある。つまり、今日は嵐のハザマに当たる時だ。なので、僕は、パリスも今日は静かに時を送ったのか。と思ったのだ。
 が、それは大きな誤りだった。
 アメリカは常に動いてて、またその動きが早い。CNNが言うには、何とパリスは裁判所への訴えを取り消したのだ。APPEAL.にそんな意味があるとは知らなかった。 
 NO APPEAL。これは上訴取り止め という意味だ。ちなみに上訴とは、裁判所の罪状決定に不服がある時、より高いレヴェルの裁判所に訴えなおすこと。
それを知った時の僕は、数秒間、フリーズした。朝食のバナナを口に入れたまま、マヌケづらで固まっていた。それは感動だった。見開いた両目がジワジワと重くなってくる中、僕はTVのパリスに向かって拍手を送った。
 
 NO APPEAL.に関して、パリスが弁護士を通して世間に出した声明文がある。(原文を見たい方は、コチラのウェブ
 その内容は、まず私が、弁護士に対して判事に上訴しないように言ったこと。その判事にパリス仮釈放の決定をくつがえされて恥をかきまくった保安官には、私の健康を考慮してくれてありがとうと、フォロー。
罪を軽くするためにサポートしてくれたファンにも感謝の言葉をかけ、そして最後には、皮肉も付け加えている。 それは、マスコミや世間の人に対して、自分なんかの事よりイラクとかもっと重要なニュースに関心を払ってくださいというものだ。つまり、パリスはこの出来事を、これまでの自分のスキャンダルと同様に捕らえてるようで、彼女らしいボケと言える。これは、立派な社会問題である。
 もちろん、この声明文には、彼女を取り巻くブレーンたちの入れ知恵もある。が、それにしても、この内容は感動的だ。そして、このウェブ・リンク先のパリス声明文にはないが、CNNが紹介した文面にはこうもあった。
[自分のこの過ちから、他の人も何かを学んで欲しい。]

 
875_373344063_paris_hilton0151_h154512_l_2  僕はパリスの大ファンだが、この言葉でパリスがまた戻ってきたように感じた。逮捕からこの大事件に至るまでの彼女は、まったくの別人だった。しかし、この事件に否定的な人たちは、こんな彼女の心変わりにこう感じただろう。
 「何を今さら、いいコぶってんだ。とんでもない批判を浴びたから、上訴を取り下げざるを得なかっただけだ。同情を集めて、刑を軽くするつもりだろう。」
 しかしそれらは全て、マト外れのイージーな批判だ。
 それは彼女の立場に身をおいて想像を働かせば、すぐに分かることだ。もし、他の人が今のパリス状態になったら、その90%以上の人が上訴するハズだ。有能な弁護士がバックにいるワケで、上訴すれば確実に刑期が大幅に短縮される。
 しかし、パリスはそれを拒んだ。それに対しては、彼女がポップ・スターであり、上訴すれば人気は地に落ちて、今後、芸能活動は続けられなくなるからだ、という理由が考えられる。
 それは確かに当たっている。パリスのパブリシスト(アメリカのショウビズ界には、こう呼ばれるスターの人気管理担当のプロがいる)が、この数日のとんでもないパリス・バッシングを受け、彼女に上訴を取り止めるようにアドバイスした可能性は充分にある。
 普通のポップ・スターなら、ここで選択肢はない。大衆人気はポップ・スターの核であり、それを失えば、今後食べていけない。そのため、イヤイヤでも上訴せずに禁固刑を受け入れるしかない。
 しかし、パリスの場合は違う。彼女は大金持ちのお嬢様であり、そもそも大衆人気など気にする必要のない立場にいる。上訴して刑を軽くすればポップスター生命は終わる。が、それでもセレブ・ライフは送れるのだ。


つまり、ここでパリスには、2つの選択肢があった。今後、ただのセレブ・ライフを送るか、それとも今のままポップ・スターでいるか。そして、パリスは後者を選んだ
 PARIS; NO APPEAL.(上訴取り止め)。
 
この決断は、彼女がこれからもポップ・スターであり続けたいという宣言だ。

 彼女は今後、特権階級の1員として、閉じた上流世界で生きることを拒んだ。
 そして、世界中の大勢の人を愛し愛されながら生きるポップ・スターの道を選んだのだ。それこそが、僕の知るパリスだ。
 大金持ちな立場とその圧倒的なルックスによって隠されてきた、彼女の本質もそこにある。彼女は何よりも生まれながらのポップ・スターであり、セックス・シンボルなのだ。

 しかしそうは言っても、パリスは先に1000ドルの保釈金を払って仮釈放の道を選んでいる。それは確かに逃げだ。だが、それは彼女が1番に望んだことじゃないだろう。仮釈放の逃げ道は、彼女の周囲の人間、彼女を愛し巨大な富と権力を持つ人たちが、与えたものに違いない。そこで、パリスはそれがアメリカ中に火を放つことになるのも想像せずに、その誘いに甘えてしまったのだ。
 もし、彼女が自らの仮釈放を1番に望んだ人物であれば、再投獄の判決からたった1日で上訴を取り止めることなど、絶対に出来なかったハズだ。 

 で、今後のシナリオとしては、アメリカはこのパリス収監に関して2分されてゆくだろう。つまりバッシング派と、同情派だ。バッシング派は、相変わらず金持ちの権力乱用という点で彼女をやりこめてゆくだろう。そして、同情派は、有名人差別という点で司法の世界を攻めてゆくだろう。
 アメリカでは昔から、司法とショウビズ界が対立している。司法の世界には、誰かセレブが違法行為をすると、普通の身分の違法者よりも、大きなバツを与えるという伝統がある。それは、セレブを通して、司法の力を世の中に大きくアピールするためだ。同情派は、特にパリスのファンたちは、それを大義名分にして、彼女の刑期短縮を求め続けるだろう。Parishiltonsuntzu
 
  だが、1番大切なのは、パリスの受刑態度にある。もし、彼女が今後、模範囚でいれば、確実に彼女の人気は復活するし、刑期短縮もありえる。
 そして、パリス出所の日には、世界中が温かな眼差しと共に迎え入れるハズだ。この
仮釈放スキャンダルを起こさず、普通に刑期を終えた時よりも大きな賞賛が与えられるに違いない。
 パリスは、こう見えても最近は読書の趣味を持ったという。ちなみにこの写真で彼女が読んでるのは、孫子の「兵法」。なので、受刑中も読書の幅を広げ、おとなしく過ごして欲しいものだ。

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